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桜田通り 三田四丁目交差点手前で右折
桜田通りを直進して突き当たりの三田四丁目交差点手前で右折し、斜め右の道を進む。 |
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突き当りで右折 |
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慶應義塾中等部前の道を歩く
左に男子校の慶應義塾中等部の校舎がある。 |
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綱坂を上る
綱坂の左に綱町三井倶楽部、右にイタリア大使館がある。坂の上り口の左手に慶應義塾中等部、慶応義塾女子高校があり、右手には慶應大学がある。 |
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綱坂を上る |
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綱坂を上る
羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。 |
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綱坂を上る |
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綱坂を上る イタリア大使館(松平家 中屋敷跡)
綱坂下の三田坂めぐり散歩の表示柱があり、中央に「大石主税以下切腹跡」の表示がある。慶應大学の北西角でイタリア大使館の中にあり、入ることは出来ない。上下を結ぶ赤破線は綱坂である。 |
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綱坂を上る |
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綱坂を上る イタリア大使館(松平家 中屋敷跡)
戦前のイタリア大使で赤穂義士を忠義の発露と絶賛し、大石主税などの切腹跡を保護した。との逸話がある。 |
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突き当たりの簡易保険事務センター(旧 簡易保険局)で左折し、日向坂に向かう
右折すると綱の手引坂を下り、都立三田高校を経て三田国際ビルに出る。左折すると日向坂を下り、二の橋に出る。 |
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簡易保険事務センター(旧 簡易保険局) 綱の手引坂
平安時代の勇士源頼光の四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称である。姥坂(うばさか)とも呼んだが、馬場坂の説もある。 |
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簡易保険事務センター(旧 簡易保険局) 綱の手引坂 |
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簡易保険事務センター(旧 簡易保険局) 綱の手引坂
真っ直ぐな道で中ほどに都立三田高校があり、三田国際ビルがある三田1丁目交差点で三田通りに出る。 |
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簡易保険事務センター(旧 簡易保険局)前 綱町三井倶楽部
綢町三井倶楽部本館
綱町三井倶楽部本館は、大正二年(一九一三)にイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で建てられました。コンドルは明治十年(一八七七)に来日し、鹿鳴館、銀座煉瓦街をはじめ幾多の建築にたずさわり、建築の分野て日本の近代化に貢献しました。 この建物は、三井家の賓客接待用として建てられたもので、ネオ・バロック風の特徴を持ち、室内装飾や家具などに優美な曲線の装飾が見られます。また、建物の背後の庭園も優れています。平成二十年(二○○八)には、門も建築当時の姿に復元され、大正時代の様子を伝えています。 なお、三井倶楽部の敷地は、江戸時代には佐土原藩島津家・会津藩保科家の屋敷があったところで、かつては前面道路に面したところに大名屋敷の建物を模して近代に建てられた長屋もありました。
現在は三井不動産株式会社が所有・管理しており、使用中のため公開していません。 |
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オーストラリア大使館前を西進 |
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オーストラリア大使館前を西進
オーストラリア大使館向かいの龍源寺の駐車場から六本木ヒルズが眺められる。駐車場手前は神明坂交差点である。 |
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オーストラリア大使館前を西進 |
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三田共用会議所前を西進 |
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日向坂を下る
江戸時代、この坂の南に徳山の毛利日向守の藩邸があった。近くにある六本木ヒルズの毛利庭園は、長府の毛利藩邸である。
高架は首都高2号目黒線である。 |
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日向坂を下る
江戸時代前期南側に徳山藩毛利日向守の屋敷かあった。袖振坂ともいった。由来は不明である。誤ってひなた坂とも呼んだ。
日向坂を下ると古川に架かる二の橋で、その先で麻布通り(都道415号高輪麻布線)に出る。 |
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日向坂を下る |
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古川に架かる二の橋 |
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古川に架かる二の橋 |
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二の橋交差点で右折、麻布通りへ |
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麻布通りを北上
都道415号高輪麻布線は泉岳寺交差点から伊皿子交差点、魚籃坂、麻布十番を経て六本木一丁目交差点に向かう。戦後に出来た新しい道で愛称はなかったが、平成27年に古川橋交差点から六本木一丁目交差点までを麻布通りと名付けられた。 |
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麻布通り 一の橋交差点で左折、麻布十番商店街へ
久しく麻布に来なかったせいもあり、麻布通りの標識を初めて見た。帰宅後調べたら平成15年に愛称が付けられたのを知った。 |