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川の手通り 白鬚橋西詰交差点で右折、明治通りへ |
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明治通りを東進するぐるーりめぐりん
久しく台東区のコミュニティバスであるめぐりんバスと縁がなかったが、特徴ある形のマイクロバスのめぐりんとは違い、路線バスのような「ぐるーりめぐりん」が走っていた。
帰宅後調べたら以前は北、南、東西の3路線だったが、北めぐりんが浅草周りと根岸周りに分割され、東西めぐりんも鶯谷駅経由日医大回りルートと上野公園経由三崎坂往復ルートとなり、区のハズレで従来めぐりんが通っていなかったルートを巡る「ぐるーりめぐりん」と6ルートになっていた。路線図を見ても重なる所が多く、便利にはなったようだが複雑で分かり難いようにも見える。 |
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明治通りを西進 国際自動車 台東営業所 |
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明治通りを西進 史跡 平賀源内先生之墓
国際自動車 台東営業所のすぐ先の角にあるが、具体的な場所は不明である。 |
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明治通りを西進 史跡 平賀源内先生之墓
明治通り側からは石碑の文字が読めるが、歩道からはなんの碑か分からない。
歩道側には次のように書かれている。
昭和五年十二月 平賀源内先生顕彰会建之 |
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明治通りを西進 清川二丁目交差点
旧今戸橋先の交差点で橋場通りが石浜通りと橋場通りに分岐するが、石浜通りが北上するとこの交差点で明治通りに合流する。 |
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明治通りを西進 清川二丁目交差点 界隈案内図 |
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明治通りを西進 セブンイレブン角で左折、玉姫稲荷神社通りへ
交差点の地名表示がないので分かり難いが、清川二丁目交差点の次の交差点で左折する。 |
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玉姫稲荷神社通りを南下するにつれ剣呑となる
明治通りを曲がった付近は普通の住宅街であるが、南下するにつれ雰囲気が剣呑になってくる。
玉姫公園は普段は自由に入れる公園だが、鉄パイプとブルーシートで公園全体を覆い尽くし、年末闘争とか、底辺労働者を守れとか反権力闘争基地と化す。所々ブルーシートが空いている所もあるが、覗いたり写真を撮ると中に引き摺り込まれる危険性が高い。 |
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玉姫稲荷神社通りを南下 玉姫稲荷神社 表鳥居
玉姫公園の南側にある神社で、山谷のドヤ街で知られた吉野通り沿いの東側の神社である。
東京メトロの散策イベントや11月下旬に行われる「靴のめぐみ祭り市」のような時以外は朝から路上で宴会をしている吉野通りを始め、神社周辺の低料金のドヤ街は危険な雰囲気である。歩くと何しに来た、という誰何をかけるような視線を感じる街である。 |
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玉姫稲荷神社通りを南下 玉姫稲荷神社
けして小さな神社ではないが、11月下旬に行われる「靴のめぐみ祭り市」のびっしりと建て込んだテントが出来るほどの広さは感じられない。 |
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玉姫稲荷神社通りを南下 玉姫稲荷神社 本殿 |
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玉姫稲荷神社通りを南下 玉姫稲荷神社 表鳥居から出て右折 |
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玉姫稲荷神社通りを南下 玉姫稲荷神社を出てすぐの交差点で右折、アサヒ会通りへ |
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アサヒ会通りを西進
正月三が日明けの4日、土曜日なので多くの店が閉店である。時刻は13:20で、歩き詰めの疲れもあり昼食が取れる場所を探しながら歩いた。 |
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アサヒ会通りを西進 東浅草二丁目交差点で吉野通りを渡り、日の出会商店街へ |
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日の出会商店街を西進
最近の傾向からか、立派な門松は殆ど見かけず、このような飾り物でも目を引く。 |
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日の出会商店街を西進 北めぐりん(浅草回り) #10 東浅草二丁目バス停 |
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日の出会商店街を西進 北めぐりん(浅草回り) #10 東浅草二丁目バス停 |
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日の出会商店街を西進 吉原大門交差点で土手通りを渡り吉原 仲之町通りへ |
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土手通り 吉原大門交差点 見返り柳
旧吉原遊廓の名所の一つでで、京都の島原遊廓の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったというところから「見返り柳」の名があり、
「きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
見返れば意見か柳顔をうち」
など、多くの川柳の題材となっている。
かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。 |