万歩計 トップ 散策点描 目次    麻布〜六本木〜南青山散策H310121(麻布十番駅〜港七福神〜有栖川宮記念公園〜六本木ヒルズ〜根津美術館〜青山骨董通り〜表参道駅) 目次  有栖川宮記念公園〜愛育クリニック(旧愛育病院)〜櫻田神社 目次  有栖川宮記念公園〜愛育クリニック(旧愛育病院)〜港七福神 櫻田神社(寿老人) けやき坂上交差点〜六本木ヒルズ〜六本木通り 西麻布交差点  ページ ラスト


万歩計



(Since H14-10-28)


万歩計サイト内散策
検索方法はyahoo検索やgoogle検索と同じです。
結果は別タブに表示されます。

目次









掲示板(一言どうぞ)


有栖川宮記念公園H310121

【関連サイト】   東京の名園 有栖川宮記念公園

 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 


南部坂 有栖川宮記念公園 入口 南部坂 有栖川宮記念公園 入口 

有栖川宮記念公園

この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていました。そして1896年(明治29年)、有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となります。有栖川宮が廃絶して後は、大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀をお継ぎになります。その後、児童福祉を目的とする遊び場に深い関心を寄せられていた高松宮殿下は、故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる1934年(昭和9年)にこの地を東京市に賜与され、記念公園として一般開放されました。北東部を編入し、1975年(昭和50年)には港区に移管されて、区立公園となり多くの人に親しまれています。管理事務所近くには、この公園とも縁の深い、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像が建っています。
有栖川宮記念公園 東京都立中央図書館 有栖川宮記念公園 東京都立中央図書館 

この地は江戸時代旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷でありましたが、明治29年有栖川宮御用地となり、更に大正2年 高松宮御用地となりました。その後児童の自然教育および健簒に格別の関心をもたれた高松宮殿下が昭和9年故有栖川宮威仁親王の御命日にちなんで御用地を公園地として賜与され、当時の東京市は直ちに工事を進め、同年有栖川宮記念公園と命名し開園したものです。
有栖川宮記念公園 東京都立中央図書館前 小公園 有栖川宮記念公園 東京都立中央図書館前 小公園 

柵で囲まれた小公園で、外国人が含まれていたのでインターナショナルスクールの幼児たちが保育士や母親たちと遊んでいた。
有栖川宮記念公園 広場 有栖川宮記念公園 広場 
有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像、新聞少年の像 有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像、新聞少年の像 

広場の東端中央(写真では右端)に有栖川宮熾仁親王の騎馬像、左端の木陰に新聞少年の像がある。
有栖川宮記念公園 広場 新聞少年の像 有栖川宮記念公園 広場 新聞少年の像 

僕は少年
新聞や

軽くしごけば
新聞の
インクがプン
と匂います
大事にかかえ
て走るとき
マラソン選手
のようでしょ

ぼくは元気な
新聞や
有栖川宮記念公園 広場 新聞少年の像 有栖川宮記念公園 広場 新聞少年の像 
有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像 有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像 

有栖川熾仁親王の銅像

 有栖川熾仁親王(1835〜1895)は有栖川宮家九代目の親王で、明治維新、西南の役、日清戦役ですぐれた勲功をたてられました。その間、福岡藩知享や元老院議長、左大臣、近衛都督、参謀総長などを歴任され、明治28年(1895)1月に亡くなられました。
 この銅像は大熊氏広作で明治時代の代表的作品の一つ
として極めて価値の高い芸術品です。明治36年(1903)10月10日千代田区三宅坂旧参謀本部構内に建立したものを、昭和37年(1962)3月1日道路拡幅事業の際、ゆかりの深いこの公園に移設しました。
有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像 有栖川宮記念公園 広場 東側に見える有栖川宮熾仁親王の銅像 
有栖川宮記念公園 広場 有栖川宮記念公園 広場 
有栖川宮記念公園 広場 西端の記念碑 有栖川宮記念公園 広場 西端の記念碑 
有栖川宮記念公園 広場 西端の記念碑 有栖川宮記念公園 広場 西端の記念碑 

有栖川宮記念公園

位置 港区麻布盛岡町広尾町
面積 三五,六〇一.一二平方米
開園 昭和九年十一月十七日

沿革

この地一帯は元盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であったが、明治二十九年有栖川家の御用地となり大正二年高松宮殿下がこれを受けつがれた
殿下は都民の保健に深く心をよせられ多年にわたり小学校の校外教授等に利用させまた一般児童の入園も許しておられたが昭和九年一月御用地の一部を有栖川宮家の記念として本都に御寄付されたのがこの公園である 本都はその御主旨にそい直ちに造園工事に着手 同年十一月これを完工し広く都民に開放したものである。

               東京都
有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑正面の下り道 有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑正面の下り道 
有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑 左側の風景 有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑 左側の風景 
有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑 熱中症計はほぼ安全 有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑 熱中症計はほぼ安全 

現在時刻は12:05で、温度8.4℃、湿度は低くて測定不可能、熱中症計はほぼ安全である。

温度は低いが、晴天で、歩いているため少し汗ばんでいる。
有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑正面の階段を下る 有栖川宮記念公園 広場西端の記念碑正面の階段を下る 
有栖川宮記念公園 階段を下り、南下 有栖川宮記念公園 階段を下り、南下 
有栖川宮記念公園 階段を下り、南下 有栖川宮記念公園 階段を下り、南下 
有栖川宮記念公園 梅林の四阿 有栖川宮記念公園 梅林の四阿 
有栖川宮記念公園 梅林 有栖川宮記念公園 梅林 
有栖川宮記念公園 池沿いに西進 有栖川宮記念公園 池沿いに西進 
有栖川宮記念公園 池沿いに西進 有栖川宮記念公園 池沿いに西進 

何が釣れるのか、釣りが許されているのかは分からないが、釣り人が並ぶ。広尾口入口
有栖川宮記念公園 池沿いに西進 有栖川宮記念公園 池沿いに西進 

池の島の奥には広尾口入口で、日比谷線広尾駅に続く。
 有栖川宮記念公園 池沿いに西進 橋を渡る 有栖川宮記念公園 池沿いに西進 橋を渡る 
有栖川宮記念公園 橋の左手(南側)奥は広尾愚痴入口 有栖川宮記念公園 橋の左手(南側)奥は広尾愚痴入口 
有栖川宮記念公園 橋の右手(北側)は花菖蒲園 有栖川宮記念公園 橋の右手(北側)は花菖蒲園 
有栖川宮記念公園 突き当りの坂を上ると園の外は木下坂 有栖川宮記念公園 突き当りの坂を上ると園の外は木下坂 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 眼鏡橋 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 眼鏡橋 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 右手に渓流 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 右手に渓流 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 右手奥に滝 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 右手奥に滝 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 階段を上ると三軒家口入口 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 階段を上ると三軒家口入口 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口から見た公園風景 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口から見た公園風景 
有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口 有栖川宮記念公園 西端沿いに北上 三軒家口入口 

門を出て右折、木下坂に出る。



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    麻布〜六本木〜南青山散策H310121(麻布十番駅〜港七福神〜有栖川宮記念公園〜六本木ヒルズ〜根津美術館〜青山骨董通り〜表参道駅) 目次  有栖川宮記念公園〜愛育クリニック(旧愛育病院)〜櫻田神社 目次  有栖川宮記念公園〜愛育クリニック(旧愛育病院)〜港七福神 櫻田神社(寿老人) けやき坂上交差点〜六本木ヒルズ〜六本木通り 西麻布交差点  ページ トップ