中国周遊
寧波〜杭州〜上海・蘇州
(H18-03-04〜H18-03-11)
(English)
中国事情
中国は50年前の昭和30年代の日本が、現代の高速道路やインターネットなどの高度なインフラとが共存する世界である。15年前の平成3年、オリンピック開催間もない韓国ソウルに出張した時、京城(ソウル)駅周辺などが日本の40年代の雰囲気だった。日本同様、オリンピック後の韓国も発展したが、北京オリンピック後の中国も発展することを期待する。
しかし、中国の貧富の差は甚だしく、上海の目抜き通りでさえ、平気で痰を吐き、食べ物の包装紙を撒き散らしたり、まがい物のロレックス売りや、バスにまで乗り込んでくる粗悪な土産物売りの強引さ、危うく財布を取られそうになったが掏りの横行など、マナーや治安の悪さは想像以上で、目を覆うものであった。5つ星ホテルの上海和平飯店や上海空港のサービス精神のなさ、官僚主義には腹が立つ以前に、中国の後進性を痛感した。先進国ぶって、中華帝国主義を標榜する北京の国家主席、首相などの苦衷が忍ばれる。
台湾と違い中国は簡体字で、読むことは出来ないが、町の案内板や観光地の併記された説明文は簡明な英文である。地名や人名は発音通りなので分らないが、簡体字の方で理解できる。ホテルやレストラン、土産物店では、人は限られるが、簡単な英会話であれば十分通用できる。但し、厠所はRest Roomではなく、Toiletだった。
天童寺は曹洞宗を開き、永平寺の開祖である道元禅師が修行した寺で、日本道元禅師得法霊蹟碑を始め、曹洞宗学校関係者の訪問記念碑がある。天台山は、隋代の開皇18年(598年)に創建、煬帝が国清寺(国清講寺)と名づけた。日本の天台宗の開祖である伝教大師最澄を始め、円珍、栄西などが修行している。境内には日本天台宗祖の最澄を記念した中日天台宗祖師記念碑亭がある。天一閣は明代の高官である范欽(ハンキン)が書物を集め、寧波に建てた書庫である。中には麻将起源地陳列館があり、寧波の方言が麻雀(麻将)に関係することを知った。上海は少しましだが、電飾が少なく、賑わっているのに中心街でも街は薄暗い。
紹興は左翼作家魯迅が生まれ育った所で、魯迅故里のテーマパークがあり、隣接する咸亨酒店で紹興酒を飲み比べ、濃厚で芳醇な酒を買った。王義之の蘭亭序や曲水の宴で有名な蘭亭は、清朝の康煕、乾隆帝の碑がある。呉王夫差の愛人西施に因んで蘇軾が名付けた杭州西湖は、霧に煙った方が趣がある、と言う人が多いが、折角の風景もよく見えず、残念である。手漕ぎの小船で西湖を渡り、断矯残雪、平湖秋月、小瀛州、三潭印月を間近に見る。柳並木の若葉が美しい蘇堤に着き、花港観魚を見て、雷峰塔に行く。杭州と上海の間の西塘は、生活臭が漂う水郷である。
浦東側の濱江大道から見た上海外灘は、ライトアップされた夜景と、いかにも上海租界という昼の風景とが対比をなし、ライトアップされた上海タワーは幻想的である。豫園商城は、上海の名園豫園に隣接し、如何にも中国、と思わせる風格を感じる建物が並び、九曲橋、湖心亭、さまざまな土産物屋や、食品店が軒を連ねる。南京路歩行街は歩行者天国で、規模や広さは雲泥の差だが、雰囲気は昼は浅草六区、夜は新宿歌舞伎町の猥雑さである。蘇州の虎丘雲岩寺は、春秋時代に越王勾践に敗れ、戦傷死した呉王闔閭の霊廟で、ピサの斜塔ほど傾いてはいないが、雲岩寺塔が有名である。蘇州の名園拙政園は渋滞に巻き込まれ、慌しい見物で、不満が残る。