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松山市内散策(松山市駅〜子規堂〜愛媛県庁)

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松山市駅 坊っちゃん広場 銀天街入口 松山市駅 坊っちゃん広場 銀天街入口 

松山市駅〜子規堂〜愛媛県庁〜坂の上の雲ミュージアム〜大街道〜ロープウェー通り〜松山城〜東雲神社〜上一万駅〜道後温泉

【撮影記録】
平成30年 2月 11日 晴れ
13:45〜17:05 10,400歩(概算 6.8km 地図上の距離 6.3km)

伊予鉄の松山市駅を少し南下して子規堂に寄った後、銀天街に入ってすぐ左折して北上、愛媛県庁に向かう。松山城での時間を取るため坂の上の雲ミュージアムは場所確認だけとし、ロープウエー街を歩いて松山城に向かう。東雲神社から上一万駅を過ぎ、道後温泉の温泉本館に至る。道後温泉は約25年ぶりだが、ハイカラ通りがきれいになっているのには驚いた。
松山市駅 坊っちゃん広場で右折、南下 松山市駅 坊っちゃん広場で右折、南下 
伊予鉄 横河原線の踏切を渡り南下 伊予鉄 横河原線の踏切を渡り南下 
松山 子規堂(正宗寺) 松山 子規堂(正宗寺) 
松山 子規堂(正宗寺) 正門 松山 子規堂(正宗寺) 正門 

正宗寺の 墓に
 まうでて 色あせし
布団地も見つ 君生けるがに

 斎藤 茂吉
松山 子規堂(正宗寺) 正門 松山 子規堂(正宗寺) 正門 

子規居士と鳴雪翁の居たまへる
 伊予の御寺の 秋の夕暮れ

 与謝野晶子
松山 子規堂(正宗寺) 松山 子規堂(正宗寺) 

正面が正宗寺で、左が子規堂である。
松山 子規堂(正宗寺) 松山 子規堂(正宗寺) 

 子規堂は、大正15(1926)年、柳原極堂らによって正岡家旧宅の建材を用いて建てられた。昭和8(1933)年2月の火災で、堂内に所蔵されていた正岡子規、夏目漱石等の貴重な資料も焼失した。その後再建されたが、昭和20(1945)年の松山大空襲で再び焼失。現在の建物は昭和21(1946)年に建てられたものであり、子規生い立ちの家そのままの間取りで復元されている。
 司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文藝春秋刊)には、子規が秋山真之を自宅に誘い、自らが熟中する新聞や雑誌づくりに引き込もうとする様子が描かれている。
松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 

子規堂には係員がおらず、正宗寺の反対側にある寺務所に受付がある。時折、受付で参観券を求めるよう案内が流れる。
松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 

史跡 子規堂へようおいでたなもし

正岡子規、本名正岡常規。慶応三年九月十七日松山市に生まれる。明治三十五年九月十九日三十六歳で死去。子規十七歳、我が国に入ってれたベースボールを幼名から升と野の球とをかけ合わせて野球という言葉をつくったと云われる。やがて松山の地に始めて野球を伝えた。明治二十五年日本新聞社の社員となる。日清戦争に従軍記者で活躍、二十八年東京時代の学友であった夏目漱石が松山中学の教壇にたっていた。
漱石の下宿、愚陀仏庵に子規が同居し、この時松山い新派俳句は興ったと云われている。新聞「日本」の俳句雑誌、「ホトトギス」等によって子規は日本新派俳句を全国に普及させた。また叙事文、写生文を提唱し当時の小説家達に影響を与えた。子規堂は文学なかまであった正宗寺住職仏海禅師が業績を記念して子規が十七歳で上京するまでの住居を、寺の中ににのこした。子規堂前の「坊っちゃん列車」は漱石の小説「坊っちゃん」でも有名である。
松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 
松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 

坊っちゃん列車の客車

この箱車は、いまから八十年ほど前、伊豫鉄道株式會社が創業当初の明治二十一年十月二十八日に、松山|三津間(三、九哩 料金三銭五厘)に開通した我国最初の軽便鉄道の客車であります。
夏目漱石先生の小説、”坊っちゃん”では「マッチ箱のような汽車だ」といわれ、以来”坊っちゃん列車”の愛称で全国に知られています(この列車の機関車は梅津寺遊園に展示してある)何しろ米が一升四銭五厘という時代に独乙から立てたまゝ木箱に詰めて、機関車と共に運ばれてきたものですが、あれから五十年間、雨の日も風の日も走り続け、ある時は強い風に吹き倒されたり又ある時には牛に衝突して脱線したり”枯野原汽車に化けたる狸あり 漱石”などなど、いま考へると嘘のような本当の逸話がたくさんあります。文化はレールと共に伸びると、いわれるが、子規も漱石もこの客車で道後温泉へ通ったものと思うと、気が遠くなるような郷愁と時代の流れを感じさせられるものであります。

子規が乗り漱石が乗り三津に行き
道後に行きし汽車かこの汽車

             越智 水草
松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 松山 子規堂(正宗寺) 坊っちゃん列車の客車 

『坊っちゃん』を
書いた人

      夏目漱石

停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。
乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。
ごろごろと五分許り動いたと思ったら、
もう降りなければならない、道理で切符が
安いと思った。たった三銭である。

           小説 『坊っちゃん』より
松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 松山 子規堂(正宗寺) 子規堂入口 
松山 子規堂(正宗寺) 子規と野球の碑 松山 子規堂(正宗寺) 子規と野球の碑 
松山 子規堂(正宗寺) 子規と野球の碑 松山 子規堂(正宗寺) 子規と野球の碑 

子規と野球の日

正岡子規は わが国野球草創期に選手として活躍 明治二十年代はじめて松山の地にこれを伝えた最も早くベースボールの技術、規則を訳述解説し、その妙味を強調して ひろく世に推奨「野球」の名づけ親と称される また短歌、俳句、小説など文学の題材に 初めてこれをとり入れた実に子規は わが球界の先駆者であり普及振興の功労者である

  打ちはづす球キャッチャーの手に在りて
  ベースを人の行きがてにする
  今やかの三つのベースに人満ちて
  そゞろに胸の打ち騒ぐかな

     (明治三十一年ベースボール九首のうち)
松山 子規堂(正宗寺)から見える松山市駅 いよてつ高島屋 松山 子規堂(正宗寺)から見える松山市駅 いよてつ高島屋 
松山市駅 坊っちゃん広場 銀天街入口 松山市駅 坊っちゃん広場 銀天街入口 
松山市駅 銀天街に入り、最初の角で左折 松山市駅 銀天街に入り、最初の角で左折 

銀天街に入ってすぐに左折する。
松山市駅 銀天街に入り、最初の角で左折 松山市駅 銀天街に入り、最初の角で左折 
千舟町5丁目交差点で千舟町通りを渡り、北上 千舟町5丁目交差点で千舟町通りを渡り、北上 
道路の先に見える松山城 道路の先に見える松山城 
日銀前交差点を渡り、北上 日銀前交差点を渡り、北上 
道路の先に見える松山城 松山城に向かって北上 
東堀端通り 八股榎お袖大明神 東堀端通り 八股榎お袖大明神 

東堀端通りの南堀端通りとの角にある。
 東堀端通り 松山市役所 東堀端通り 松山市役所 
東堀端通り 松山市役所 案内図 東堀端通り 松山市役所 案内図 

右が北で、松山城に当たる。
東堀端通り 松山市役所から見た八股榎お袖大明神 東堀端通り 松山市役所から見た八股榎お袖大明神 
東堀端通り 突き当りの愛媛県庁角交差点 東堀端通り 突き当りの愛媛県庁角交差点 
東堀端通り NTT西日本 愛媛支店 東堀端通り NTT西日本 愛媛支店 
東堀端通り NTT西日本 愛媛支店前 松山中学校跡 東堀端通り NTT西日本 愛媛支店前 松山中学校跡 

漱石ゆかりの松山中学校跡

夏目漱石は、明治二十八年、ここで英語を教えました。
名作「坊っちゃん」は、松山中学校を舞台にして書かれました。
四国電電ビル新築にあたり、往時校庭にそびえていたユーカリの一樹をそえて駝念碑を建立します。
東堀端通り NTT西日本 愛媛支店前 松山中学校跡 東堀端通り NTT西日本 愛媛支店前 松山中学校跡 

松山中学校・勝山学校跡

 この地は、江戸時代に藩校明教館があり、明治以降は松山の近代教育の拠点となった場所である。正岡子規や秋山真之が通った勝山学校や松山中学校は、いずれも明教館から生まれ、様々な変遷を経て現在の番町小学校、松山東高等学校にその歴史が引き継がれている。

 司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文藝春秋刊)には、小学校にあたる勝山学校で新しい教育が行われていることが評判になり、子規や真之もこの学校で学んだことが描かれている。
一番町通り(国道11号線) 愛媛県庁 一番町通り(国道11号線) 愛媛県庁 
一番町通り(国道11号線) 愛媛県庁 一番町通り(国道11号線) 愛媛県庁 



 
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