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道後温泉 白鷺坂を下る
道後温泉〜松山観光港〜呉中央桟橋〜江田島 小用港ターミナル〜江田島 海軍兵学校(海上自衛隊 第一術科学校)〜呉中央桟橋〜大和ミュージアム〜広島駅
【撮影記録】
平成30年 2月 12日 晴れ
8:30〜17:30 11,000歩(概算 7.2km)
道後温泉から松山観光港へのリムジン、小用港ターミナルから江田島 海軍兵学校へのバスが時刻表、電話調査では確認済みとはいえ、それを逃すとその後の行程に大きな支障があると不安だったが、無事対応できた。江田島、大和ミュージアムと呉を訪れるのは初めてであり、興味深かった。
本質的なことではないが、今回の旅行で見つけたコンビニはその多くがセブンイレブンであり、携帯のnanacoで対応でき、小銭がジャラジャラ、ということは防げた。 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)入口 道後温泉本館角 伊佐庭如矢翁胸像
伊佐庭如矢は、明治二十三年道後湯之町の初代町長として、道後温泉本館建築に情熱のすべてを注ぎ、幾多の困難を乗り越えながらも明治二十七年四月落成に至った。
棟梁は城大工の坂本又八郎で、重厚な伝統技術を生かしながらも洋風建築の優れた点を取り入れ、伊佐庭如矢を助けた。
伊佐庭翁は、明治三十五年に任期満了により町長退職。余生は詩歌、茶の湯などの風流に親しみ、明治四十一年九月、永眠した。 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)入口 道後温泉本館角 伊佐庭如矢翁胸像 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街) 道後温泉本館
朝8時35分と早いにも拘らず、 もう入浴客がいる。 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街) 道後温泉本館 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を西進 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を西進
数は少ないが、帰り支度の温泉客が買い物をしている。 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を西進 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街) ローソン角で左折、南下 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を南下 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を南下 |
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道後温泉 ハイカラ通り(道後商店街)を南下 |
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伊予鉄 道後温泉駅 |
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伊予鉄 道後温泉駅に展示されている坊ちゃん列車
坊ちゃん列車
明治21年10月28日松山ー三津間(6.8キロメートル)運転開始
停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だった…夏目漱石著 小説「坊っちゃん」より |
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伊予鉄 道後温泉駅に展示されている坊ちゃん列車
伊予鉄道は明治20年9月14日に創立。翌年10月28日に日本初の軽便鉄道として松山ー三津間の運行を開始しました。当時の伊予鉄道1号機関車は「四輪連結水槽付機関車」でドイツのクラウス社から輸入され、その後明治、大正、昭和と実に67年間にわたって松山平野を走り続け、わが国初の軽便鉄道機関車として昭和43年3月8日、愛媛県指定有形文化財に指定されました。
夏目漱石が松山へ教師として赴任したのは明治28年、道後温泉をこよなく愛し、汽車に乗っては頻繁に足を運んだ機縁で,明治39年発表の小説「坊っちゃん」には、当時の道後温泉や軽便鉄道がユニークに描写されており、その後伊予鉄道の汽車は「坊ちゃん列車」の愛称で地元松山市民をはじめ多くの人々に親しまれてきました。 |
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道後温泉から松山観光港へのリムジンバス 車窓風景 道後公園 |
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松山観光港ターミナル |
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松山観光港ターミナル 松山みなとまち絵地図
地図の左上が松山観光港で、下中央に松山城、その右に道後温泉がある。地図でも分かるように道後温泉と松山観光港とは結構距離があり、安全のためスピードが出ていないとはいえ、リムジンで40分かかっている。 |
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松山観光港ターミナル 呉経由広島行き スーパージェット 道後 |
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松山観光港ターミナル 呉経由広島行き スーパージェット 道後
10時発で10時55分に呉着のジェット船で、客室は1階の一般席と500円追加で2階のスーパーシート席とがある。乗船時は200円の特別割引でスーパーシート席で5,850円であった。
フェリーだと料金は半額になるが、時間は倍の2時間となる。呉で江田島の海軍兵学校と大和ミュージアムの両方を見物するのは厳しいため、ジェット船を選択した。 |