|
ANAクラウンプラザホテル広島
平和大橋〜平和記念資料館〜平和都市記念碑〜平和記念公園 原爆の子の像〜原爆ドーム〜原爆ドーム駅〜旧市民球場跡〜市立中央図書館〜広島城南交差点〜広島城(表御門〜護国神社〜天守閣)〜大本営跡〜裏御門跡)〜紙屋町東駅〜広電宮島口駅〜フェリー乗降場〜参道〜厳島神社入口〜大願寺〜厳島神社入口〜参道〜フェリー乗降場〜JR宮島口駅
【撮影記録】
平成30年 2月 13日 晴れ 一時 雪
8:30〜17:30 12,000歩(概算 7.82km)
ホテルを出て原爆公園、広島城天守閣までは寒いが天気は良かった。しかし、広島城を出る頃から横殴りの雪となり、紙屋町界隈の繁華街散策は諦めざるをrなかった。宮島までも天気は良くなかったが、厳島神社あたりで良くなった。 |
|
ホテル前の平和大通りに出て右折、西進 |
|
平和大通り 白神社前交差点 界隈案内図
ホテルを出てすぐの白神社前交差点は、平和通りと鯉城通りとの交差点である。鯉城通りを北上すると後で歩くことになる紙屋町交差点を経て、広島城南交差点で広島城に着く。 |
|
平和大通り 白神社前交差点 |
|
平和大通り 白神社前交差点 NHK広島放送局 |
|
平和大通り 白神社前交差点 白神社 |
|
平和記念公園 元安川に架かる平和大橋 |
|
平和大通り 元安川に架かる平和大橋 |
|
平和大通り 元安川に架かる平和大橋
正面やや左奥に原爆ドームが見える。 |
|
平和大通り 平和記念公園 |
|
平和大通り 平和記念公園
名勝 平和記念公園
平和記念公園は、原爆死没者の慰霊と世界高級平和を祈念して開設された。
昭和24年(1949年)の広島平和記念都市建設法の制定に伴い、平和記念施設事業として記念公園が整備されることとなり、競技設計の公募に応募した145点の中から1等に入選した丹下健三ほかによる作品に基づき、昭和25年(1950年)に看工、同29年(1954年)に完成した。
公園南端の平和大通りから、広島平和記念資料館のピロティと原爆死没者慰霊碑のアーチを経て原爆ドームへと延びる中軸線上の通視は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への願いを確実に表現するものであり、視覚と慰霊の行為を関係づけようとする丹下の優れた空間意匠及び構成の意図が読み取れる。
公園とその周辺の環境が持つ風致景観は優秀であり、慰霊と平和希求の象徴的な場として芸術上・観賞上の価値及び公園史上の価値が高いため、平成19年(2007年)2月6日に名勝に指定された。 |
|
平和大通り 平和記念公園
重要文化財 広島平和記念資料館
広島平和記念資料館は、丹下健三が実施設計したもので、昭和26年(1951年)2月に着工、同30年(1955年)8月24日に開館した。
広島平和記念都市建設法に基づき最初に着手された平和記念施設で、ピロティの造形やルーバーの意匠などに建築的特徴がよく示されている。
国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、丹下健三の出発点となる建築として重要であるため、平成18年(2006年)7月5日に重要文化財に指定された。 |
|
平和記念公園 広島平和記念資料館、同本館 |
|
平和記念公園 広島平和記念資料館本館 |
|
平和記念公園 広島平和記念資料館 |
|
平和記念公園 公園案内図 |
|
平和記念公園 広島平和記念資料館本館前から見た広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑) |
|
平和記念公園 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
|
|
平和記念公園 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている |