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広電 宮島口行き電車からの風景
広電の紙屋町東駅からほぼ1時間、宮島口駅間近で海が見えだす。時折風花が舞うが、天気は良くなってきた。 |
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広電 広電宮島口駅に到着 |
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広電宮島口駅の目の前にある松大汽船 フェリー乗り場 |
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広電宮島口駅の目の前にある松大汽船 フェリー乗り場 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島口桟橋
フェリーは15分おきに運行し、乗船時間は10分である。 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島口桟橋
フェリーからの写真である。 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島桟橋
宮島桟橋はフェリー2社が運行している、JR西日本と、広電系の松大汽船である。 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島桟橋前広場 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島桟橋前広場
宮島桟橋前広場に展示されている厳島神社を中心にした地形模型である。 |
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松大汽船 フェリー乗り場 宮島桟橋
宮島桟橋のターミナルはJR西日本のフェリー乗り場も入っている。 |
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宮島桟橋前広場で右折
宮島桟橋前広場には「フクロウの森とヒョウ猫の森」と言う東京、大阪など大都会には最近よくある店が正面にある。広島市内でなく、宮島にあるということが珍しい。 |
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宮島桟橋から参道を歩く |
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宮島桟橋から参道を歩く 左折して海岸沿いに進む |
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海岸沿いに参道を歩く
世界遺産 厳島神社 平成八年(一九九六)十二月登録
厳島神社は霊峰弥山を背景に、前面を海に望む入り江に建つ神社建築で弥山などを御神体として祀り、遥拝所をその麓に配置した日本における社殿建築発展の形式の一つです。
社殿構成は十二世紀に平清盛の造営により、当時の寝殿造りの様式を取り入れて整備されましたが、その後焼失し、鎌倉時代に再建されました。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、古い様式を今日に伝えています。
また、神社建築に加えて五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられ、神道と仏教との混交を示す文化遺産として、世界に類を見ない景観を造りだしています。世界遺産の範囲は厳島神社境内地と弥山北斜面の四三一・ニヘクタールが登録され、それ以外の島内が緩衝保護区域として設定されています。 |
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海岸沿いに参道を歩く
天気が良くなり、暖かくなってきた。 |
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海岸沿いに参道を歩き、門で左折 |
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厳島神社 門前町のアーケードを進む
名物もみじ饅頭などの様々な土産物店や、広島名物の焼き牡蠣店が並ぶ。焼き牡蠣は2個で500円と結構な値段だが、名物ということでどの店も列ができている。
1軒だけだが生牡蠣を提供する店があり、「生」を強調していたが、稀ではあるが、牡蠣毒にあたって旅行を台無しにした事例を幾つか知っており、大丈夫なのか、と思う。 |
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厳島神社 門前町のアーケードを進む 宮島の大杓子
宮島の大杓子
この杓子は、宮島町が伝統工芸である宮島細工を後世に遺すとともに、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして製作した世界一の大杓子で、平成八年十二月の厳島神社、世界遺産登録を機に展示しました。
◎大きさ 長 さ 七、七メートル
最大幅 二、七メートル
重 さ 二、五トン
◎材質 ケヤキ(樹齢二七〇年)
◎製作期間 昭和五五年五月〜昭和五八年三月
(二年一〇ヶ月間)
◎製作者 宮島細工協同組合(延べ三〇〇人) |
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厳島神社 門前町のアーケードを進む 宮島の大杓子
宮島杓子の由来
江戸時代の寛政年間(一七八九〜一八〇〇)に宮島の「時寺」に誓真という僧がおられ ある夜 弁財天の夢を見 その手にされた琵琶の形の美しさを杓子にうつし そ
れを作ることを島の人に教えたことが始まりといわれています。
その後 技法の巧妙さ、形の優雅さ、更に使い易さで日本全国に宣伝され「宮島杓子」として広まりました。
現在では実用品としてだけでなく めし取るすくいとることから幸運福運勝運をすくいとる析願杓子としても縁起の良い物とされています。 |
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厳島神社 門前町のアーケードを進む |
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厳島神社 門前町のアーケードを進む |
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厳島神社 海沿いの参道を歩く |
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厳島神社 海沿いの参道を歩く 世界遺産 宮島案内 |
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厳島神社 美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩く |
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厳島神社 美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩く |
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厳島神社 美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩く |
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厳島神社 美しい大鳥居 |
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厳島神社 美しい大鳥居
大鳥居前の干潟の潮が引いており、大鳥居には近づけないものの、干潟に降りて写真を撮る人もいる。 |