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東京メトロ 副都心線 雑司が谷駅 |
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雑司が谷駅を出て右折、都電荒川線沿いに進む
雑司が谷駅前に都電荒川線が走り、左には都電荒川線の鬼子母神前駅が見える。右手には大鳥神社の鳥居が見え、その奥に池袋サンシャインがある。 |
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都電荒川線沿いに進む |
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都電荒川線 踏切を渡り、大鳥神社へ |
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雑司ヶ谷 大鳥神社
正徳年間鬼子母神境内に鷺明神として創祀せらる。
明治維新、神仏今離の令に依り、大門欅並木の料亭蝶屋地内に大鳥神社と改称 仮遷座す。これを憂い旧幕臣矢嶋昌郁氏自己の宅地を社殿として奉献、永久鎮座の地漸く定まる。その後、境内地を 漸次拡張し、現状となる。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 雑司が谷七福神 西宮神社(恵比寿神)
宮も新しく、以前はなかった気がしたら、横の案内に2年前の平成22年に新たに鎮座したことが書かれていた。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 雑司が谷七福神 西宮神社(恵比寿神)
大鳥神社が江戸時代に法明寺鬼子母神堂境内に鎮座していた頃、「えびす様」が合祀されておりましたが、明治の神仏分離によって現在の地にご遷座されました以降はその行方は分からなくなっておりました。
ところが、平成二十二年に雑司が谷の地に七福神が創設され、それに伴い同年の九月二十九日に元々大鳥神社と一緒に祀られておりました「えびす様」を兵庫県のえぴす宮総本社であります摂津西宮神社よりその御分霊を戴き、この大鳥神社の境内社としてご鎮座されました。えびす様は七福神でも唯一の日本が起源の神様で、商売繁盛の神として親しまれております。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 雑司が谷七福神 西宮神社(恵比寿神)
えびす像御開帳について
えびす様の像は西宮神社の御神体として鎮座されております。神社では御神体は人目に触れてはならぬものゆえ、いわゆる御開帳をする事はできません。
現在、御神体とは列にえびす様の石像を建造中であります。今年の春頃には完成を予定しておりますので、石像が完成しましたら再度お参り戴ければと思います。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社
大鳥神社を出て右折、道なりに歩くと鬼子母神に着く。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道
永禄4年(1561)柳下若狭守の家臣が目白の地から掘り出し、東陽坊という寺に納めたという鬼子母神像。安土桃山時代にはこの地に堂宇が建てられ、今なお安産・子育の神様として広く信仰を集めている。境内には「子授け銀杏」といわれる樹齢約700年の大イチョウ、石像の鬼子母神像などが点在する。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 仁王像 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ
樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によるど、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ
樹齢 六百年以上
幹周 八メートル
樹高 三〇余メートル
雄樹にして成長力を継続 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ
雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、四月に開花し一〇月に種子(銀杏)は成熟し、黄葉する。
樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んで
ある。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の「櫨楓」によると、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 戦捷記念碑
日露戦争の記念碑である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 土産物店 上川口屋
創業一七八一年(天明元年)の額を掲げる名物土産物店である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂
『新編武蔵風土記稿』によると建立は天正六年(一五七八)五月三日であるが、そののち寛文四年(一六六四)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。
拝殿と幣殿(相の間)は元禄一三年(一七〇〇)に建立されたことが、昭和五一年におこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文で確認されている。
本殿は桁行六・〇四メートル、梁間5・77メートル、一重、流造、桧皮葺形銅板葺。相の間は桁行六・〇六メートル、梁間六・〇4メートル、一重、両下造、とち葺形銅板葺。拝殿は桁行一七・八六メートル、梁間一一・八一六メートル、一重、入母屋造。厨子は一間厨子、入母屋造、軒唐破風附本瓦形板葺。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 雑司が谷七福神 大黒堂 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 突き当たり右折
直進すると大鳥神社からの道である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 ケヤキ並木
鬼子母神大門ケヤキ並木
ケヤキ(欅)は、ニレ科の落葉大高木で、日本の代表的広葉樹の一つである。古名をツキ(槻)という。家具や建築用材、特に社寺の構造材や大黒柱によく使われている。『地誌御調書上』によると、天正(一五七三〜九一)の頃、雑司谷村の住人長島内匠が、鬼子母神へ奉納のため植え付けたものと言う。鬼子母神鳥居先の町屋を大門ともいっていた。江戸時代には並木の伐採をめぐって訴訟がしばしば起こった。弘化元年(一八四四)の訴訟は、江戸城本丸普請のために伐採しようとした村役人等に対して、寺側が御用木の名を借りた伐採は村役人の私欲によるものと訴えて伐採を中止させた争いである。 昭和一二年(一九三七)頃には、一八本あったが、現在は四本を残すのみである。目通り幹囲五〜六メートル、樹齢約四〇〇年以上といわれる大樹である。秋田雨雀・兜木正亨らによって結成された「大門欅並木保存会」が、保存に尽力した結果、東京府の「天然紀念物」となった。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 ケヤキ並木 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 ケヤキ並木 |
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都電荒川線 鬼子母神前駅の踏切を渡る
右手に三ノ輪駅行きの、踏切を渡り左に早稲田駅行きの停車場がある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 |
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鬼子母神 表参道 高田一丁目交差点で目白通りを渡る |