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トリアノン・パレス・ヴェルサイユ ホテル
ホテル〜ヴェルサイユ宮殿〜トリアノン宮殿〜ホテル
【撮影記録】
平成29年 10月 12日 晴れ後曇り 一時 雨
9:30〜17:15 12,300歩
ヴェルサイユ宮殿に入る時は晴れていたが、出ると曇でトリアノン宮殿に着いた時はかなり激しい雨となった。雨はすぐ上がり、庭園を散策しているうちに晴れてきた。
ヴェルサイユ宮殿は人気のスポットであり、大混雑で、押し流されるように次から次へと部屋を巡るため後でどこを歩いたのか確認が大変であった。sスケジュールの関係で南翼のフランス歴史廻廊は見物しなかった。 |
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ヴェルサイユ宮殿 正面 アルム広場
ヴェルサイユ宮殿正面にある広い広場で、観光バスの駐車場である。 |
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ヴェルサイユ宮殿 正面 アルム広場
アムル広場のヴェルサイユ宮殿の反対側にはかつての厩舎があり、広場は練兵場として使われていたとのガイドからの説明があった。 |
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ヴェルサイユ宮殿 正面 アルム広場 |
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ヴェルサイユ宮殿 外門 手荷物検査場
バッグやリュックサックなどの中身を検査される。まだ時間が早いので観光客も少なく、すんなりと通過することができた。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門に向かう
歴史概要−1
ルイ13世は、ヴェルサイユでの初めての狩猟に感動し、1623年〜1624年そこに最初の狩猟の館を建てたが、凡庸であったことからフィリベール・ルロワに再建築を命じた。館はより大きく荘園の規模に相応しくなったが、豪華ではなかった。ルロワがいくつかの整備を施したが、サン・シモンの言葉を借りれば≪トランプで建てたような脆い城≫は、1643年のルイ13世の死まで変化することはなかった。
1641年に後のルイ14世がヴェルサイユを初めて訪れたのは、偶然であった。サンジェルマンで猛威を振るった天然痘を逃れるために、父王が彼とその弟をヴェルサイユに避難させたのである。10年後、王となったルイ14世は狩猟を楽しむためにヴェルサイユを訪れ、それ以降娯楽のために定期的に通うようになった。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門に向かう
歴史概要−2
ルイ13世は1630年代に庭付きの狩猟の館を建てたのであるが、ヴェルサイユを作ったのはルイ14世である。一触即発のパリにあまり近くはないが遠すぎもしないヴェルサイユには、様々に建築できる可能性があり、王の周囲に宮廷を定着させたいという願いにも応えることができた。これは、周辺にあった王の居住地では叶えられなかったことで、王室に重要性を与える、ひいてはその運命を定めることになったのである。1682年〜1789年まで、1715年〜1722年までの短期間の中断を経て、ヴェルサイユは絶対王政の本拠地となり象徴となった。太陽王の意向で形を整えたヴェルサイユは、権力構想を反映している。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門
門の上部の円部分にはフランス王家の紋章であるユリの花(フルール・ド・リス)が描かれている。ここで言う「ユリ」は一般的な「ユリ」ではなく、「アヤメ」を指すとされる。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門
内門を通り抜けることは出来ず、左手の北翼の団体用入口に向かう。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門右の団体用入口
ロシアからの団体が数グループに分かれ、専用のブルゾンを着て並んでいた。他にも幾つかの団体があり、狭い入り口を入って左折すると手荷物検査がある。これは空港のようにX線検査もあるのでなかなか進まず、長蛇の列が出来る原因となっている。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門右の団体用入口 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門
内門の上部にはルイ14世を象徴する太陽の像が飾られている。 |
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ヴェルサイユ宮殿 内門右の団体用入口 |
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ヴェルサイユ宮殿 手荷物検査場を過ぎ、ホールに出る |
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ヴェルサイユ宮殿 手荷物検査場を過ぎ、ホールに出る |
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ヴェルサイユ宮殿 ホールの階段を上り2階へ |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
2階に着くと広いヘラクレスの間がある。天井と良い、壁といい様々な絵画が飾られている。各所に金の飾りが散りばめられており、絵画はギリシャ神話や聖書に因むもの、ブルボン朝の歴史に関するものなど様々である。
国民性の違いからか、日本では天井は花鳥風月が、壁は金の障壁画として虎や松などが描かれており、ケバケバしさはない。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
ヘラクレスの間
この広間は、1664年にヴェネチア共和国からルイ14世に贈られたヴェロネーゼ作『パリサイ人シモン家の食事』を飾るために、ルイ14世のヴェルサイユ統治時代の1682年〜1710年まで第四礼拝堂があった場所に作られた。改装作業は1712年に開始され、フランソワ・ルモワンヌによる天井画『ヘラクレスの神格化』が完成した1736年に終了した。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
フランス革命の当事者であるルイ16世が左上角に臨席のもと、1789年に開かれた三部会の状況を表した絵である。
三部会とは、第一身分のカトリック聖職者、第二身分の貴族、第三身分のブルジョア、農民その他のフランス国民からなっていた。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
ヴェルサイユ宮殿の模型である。右手が北翼で、手前にアルム広場が広がる。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
ヘラクレスの間から見た王の中庭で、向いに南翼がある。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
世界のあちこちから集まった観光客でごった返ししており、ガイドも一ヶ所でじっくり説明することなど出来ない。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間
写真もじっくりと構えて撮るのは難しく、手ブレが出てしまう。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 ヘラクレスの間から王室礼拝堂へ |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 北翼 王室礼拝堂
王宮礼拝堂
王室付属の礼拝堂の伝統を踏襲してこの礼拝堂も二階になっている。階上席は国王や王族、宮廷要人の席で、1階はそれ以外の信者を受け入れた。1710年の聖別を経て、王家の先祖であり守護聖人でもある聖王ルイ(サン・ルイ)に捧げられたこの礼拝堂は、ルイ14世時代にヴェルサイユで建立された最後の建造物である。 |
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ヴェルサイユ宮殿 2階 北翼 王室礼拝堂 |