|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊
鏡の回廊
当初、ルイ14世は「鏡の回廊」にシャルル゜ルブランがデザインした純銀製の調度品を置いたが、戦費調達の目的で1689年に熔解された。この調度品には、大燭台、小型円卓、燭台を置くテーブル、オレンジの木を活ける大花瓶などが含まれ、全て当時の優秀な金銀細工職人たちによる洗練された彫り込み細工が施されていた。
旧体制下では「鏡の回廊」は「王の正殿」に通じていた。毎朝、礼拝堂に赴く国王を一目見ようと、宮廷人がここに集まった。この機会を利用して請願しようという者もいた。1686年のシャム使節団など特別な使節を迎える場合、ルイ14世は「アポロンの間」にある王座をここに移動させた。また、ここでは王家の結婚式に際して、盛装舞踏会や仮面舞踏会などの宴も大々的に催された。
後に鏡の回廊は、『普仏戦争』 に勝利したプロイセン王のウィルヘルム一世によって、ドイツ帝国の建国宣言がなされ、同時にドイツ皇帝の戴冠式が行われた。その意趣返しとして、第一次大戦のパリ講和会議の調印式がこの鏡の回廊で行われた。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊
鏡の回廊を半ばほどで引き返したため、南翼の見物はできなかった。
今から見ると左の大きな鏡はなんとも思わないが、当時の技術だと歪のない大きな鏡を造るのは大変だったそうである。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊
窓からは庭園の「水の前庭」が見える。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊
多くの観光客が見物しており、歩くのも大変である。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊から王の寝室へ
鏡の回廊の中央付近から王の寝室に向かう。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 鏡の回廊から王の寝室へ |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 王の寝室
王の寝室
この部屋は、初期の城館の頃から建物の中心部にあった大広間である。王妃マリー・テレーズの死後は「王の居殿とつながり、一般に「国王の身支度を整える間」と呼ばれた。当時この広間は3つのアーチ型開口部で「鏡の回廊」につながっており、一種の補完的な部屋としての役割も果たしていた。ルイ14世は1701年にここを寝室と定め、1715年9月1日にこの部屋で息を引きとった。彼の後継者となったルイ15世は、ルイ14世と同じくここで起床と就寝の儀式を行った。また1789年10月6日、ヴェルサイユからパリに連行される前に、ルイ16世と王妃そして王太子がこの部屋のバルコニーから群集の前に姿を現した。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 王の寝室
次から次へと観光客が訪れるのでじっくり見ることが出来ない。寝室にフランス語だけでなく英語で表記された立て看板があったので、てっきり寝室の説明が書かれている、と判断して写真に撮った。帰国後確認したら混むので部屋に留まらず、さっさと移動しろ、と言う注意書きだった。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 王の寝室
立派な天蓋付きのベッドであるが、ルイ14世は身長が160cm程度だったので驚くほど小さい。若い日本人女性の平均的な身長を考えると、その小ささが分かる。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 牛眼の控えの間
牛眼の控えの間
「第二控えの間」は天井と扉の間の湾曲部に作られた窓の形から「牛眼の間」とも呼ばれているが、現在の広さになったのは1701年のことである。この部屋は国王の起床と就寝の儀式の際の待合室として使用された。
当初あったバッサーノの絵画は、ルイ14世時代に王家の人々の肖像画と取り替えられたが、特に有名なのはシャン・ノクレが神話風に描いた大作である。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 牛眼の控えの間 |
|
ヴェルサイユ宮殿 2階 中央棟 王の食事の間 |
|
ヴェルサイユ宮殿 中央棟 2階から1階へ
昼食はヴェルサイユ宮殿の2階にあるアンジェリーナで、同店は菓子モンブラン発祥の地である。デザートとしてモンブランが出たが、上品な甘さだった。
同店は人気の店で、食事をする人の長い列が出来ていた。注意すべきはトイレで、男女兼用で4ヶ所の大便器がある(小便器はない)。但し、内2ヶ所は便座がないので女性は使えない。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 中央棟 2階から1階へ
階段途中で外を見ると王の中庭が見える。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 中央棟 2階から1階へ |
|
ヴェルサイユ宮殿 王の中庭
ヴェルサイユ宮殿の北翼、中央棟、南翼に囲まれたコの字型エリアを王の中庭と言う。 |
|
ヴェルサイユ宮殿 王の中庭 |
|
ヴェルサイユ宮殿 王の中庭
ヴェルサイユ宮殿の庭園に向かう。 |