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大トリアノン宮殿 駐車場から外門に入る  |
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大トリアノン宮殿 降り出した雨の中、外門から内門に向かう  |
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大トリアノン宮殿 降り出した雨の中、外門から、内門に向かう 
内門前から見た風景で、真っ直ぐに伸びた黄葉の並木道が美しい。 |
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大トリアノン宮殿 降り出した雨の中、内門前の案内図 
トリアノン宮殿はヴェルサイユ宮殿の庭園エリアからも行くことが出来る。図の左端中央の内門入口がヴェルサイユ宮殿の大運河の十字右翼に接している。しかし、かなりの距離を歩くため、ツアーとしては外からバスで行くことにした。 |
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大トリアノン宮殿 内門 入口 
大トリアノン
1668年、ルイ14世はトリアノンの村を購入しヴェルサイユの領地に併合した。そしてこの村の建物を取り壊し、1670年に館を建てた。青と白の陶器で飾られていたことから、この館は「磁器のトリアノン」と呼ばれた。1687年、国王はこの館をより広い建物に建て替えることにした。この建物の設計はアルドゥアン=マンサールが行い、その装飾から「大理石のトリアノン」と呼ばれた。それ以来、フランス革命時を除き、第二帝政の崩壊までこのトリアノンには君主やその関係者が住み続けた。現在の宮殿はナポレオン1世とルイ・フィリップの命令によって改装されたものであり、その全面的な修復は1965年にド・ゴール将軍の命令により行われた。
雨が小振りになってくるのを待って入場した。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 私室 
皇后の私室は以前はナポレオンの母君の私室でしたが、後に、ルイ・フィリップの居室の一部となりました。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 私室 
入場時に受け取ったパンフレットによれば「私室」とある。なんの「私」なのかは分からない。パンフレットの説明では「皇后の私室」とある。
ほとんどフランス語の案内板の中に僅かに英語表記があるが、それによると(拙訳で間違いがあるかもしれないし、分かりやすくするために注記も加えているが)
「第一帝政(ナポレオン)時代、一連の部屋は副官の部屋であった。7月革命後のルイ・フィリップ国王時代は副官のための場所として使われた。」
とある。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 私室  |
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大トリアノン宮殿 左翼 鏡の間 
大水路を望む美しい眺めと鏡の装飾が特徴的なこの鏡の間は、左翼で最も美しい部屋と言えるでしょう。宮殿のこの部分では1692年から1703年までルイ14世が使用した居室の最後の部屋で、王はここで閣議を執り行っていました。トリアノンの大部分がそうであるように、装飾は元のまま保存されていますが、家具調度品は革命時に売却され、ナポレオンの指揮の下にジャコブ・デマルテルにより他の家具と入れ替えられました。1810年から1814年までは、マリー=アントワネットの姪の娘にあたるマリー=ルイーズ皇后が大客間として使用していました。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 鏡の間  |
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大トリアノン宮殿 左翼 皇后の寝室 
ルイ14世の元の寝室、マリー=ルイーズ皇后の寝室は、部屋を区分しているコリント式の柱と、彫刻された素晴らしい木工細工の装飾が特徴的です。帝政期には、分割されて小さい寝室と小部屋になり、後者は皇后マリー=ルイーズが使用しました。この時代の家具はマルシオンの手によるものです。
寝台だけがその例外です。ナポレオンがチュイルリーで使用していた寝台で、ルイ16世の兄弟のルイ18世が1825年に亡くなった時のものです。サロンにはル・プランが描いた、「パトモスの聖ヨハネ」が飾られています。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 皇后の寝室 
ヴェルサイユ宮殿でも感じたが、現代の感覚では小さく、子供のベッドである。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 皇后の寝室から見た庭園 
庭園は紫色の花壇である。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 領主達の控えの間 
領主達の控えの間、はルイ14世の第二の居室の控えの間でしたが、長方形の窓は当時のままです。衛兵の間には、ルージュ・ロワイヤルと呼ばれる当時好まれた大理石製の暖炉が残り、兜や武器の彫刻が飾られています。その後、食堂もしくは守衛の間と呼ばれるようになりました。レモン作の大テーブルには一枚の木で彫られた板が張られています。壁にはヴェルディエとウアスの絵が飾られています。 |
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大トリアノン宮殿 左翼 領主達の控えの間  |
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大トリアノン宮殿 左翼 領主達の控えの間  |
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大トリアノン宮殿 左翼 領主達の控えの間  |
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大トリアノン宮殿 柱廊左の庭園 
大トリアノン宮殿の左翼と右翼の間に柱廊があり、左手に花壇がある。 |
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大トリアノン宮殿 柱廊左の庭園  |
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大トリアノン宮殿 柱廊右の正面中庭  |
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大トリアノン宮殿 柱廊 
柱廊の左は円柱で、右は装飾付きの角柱である。その違いの美しさと風の流れを良くする目的があったとのことである。 |
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大トリアノン宮殿 右翼 円形の間 
円形の間はルイ14世の最初の居室(1688〜1691年)に続く控えの間でした。コリント様式の円柱や絵画などの内装は当時のものです。暖炉の右側には、木製の二重扉は、ルイ15世が作った礼拝堂への階段を隠していますが、その階段から演奏者たちが、王の夕食に使用された次の部屋を望む壇上に上がることができたのです。 |
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大トリアノン宮殿 右翼 皇帝の家族の間 
ルイ14世の三番目の居室につながる扉があります。リュリーの音楽が演奏されていた劇場が1703年に壊され、そこに作られた部屋です。現在の居室は、ルイ15世の遊戯の間と、皇帝の家族の間とからなっています。
暖炉の上にはマリー・ルイーズ皇后の胸像が飾られています。 |
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大トリアノン宮殿 右翼 ルイ15世の遊戯の間  |
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大トリアノン宮殿 右翼 ルイ・フィリップ王の家族の間 
ルイ・フィリップは1838年に、二つの部屋、重臣の間と皇太子の間(ルイ14世の最初の控えの間)を統合して、家族の間を作りました。そこにはボン・ド・ブローニュやフランソワ・ヴェルディエの絵画、プリオンの家具が置かれました。家族のテーブル、王女たちが手仕事の作品を仕舞える家具はジャコブ・デマルテルによるものです。 |
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大トリアノン宮殿 右翼 ルイ・フィリップ王の家族の間  |
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大トリアノン宮殿 右翼 孔雀石の間 
孔雀石の間は宮殿で最も重要な部屋です。元は老年のルイ14世の小部屋で、その後ブルゴーニュ公爵夫人の寝室となり、皇帝の大サロンとなった部屋です。シャルル・ド・ラ・フォツスの3枚の絵、「アポロとテティス」、「ディアナとニンフたち」、「ひまわりに変身するクリュティエ」はトリアノン宮の傑作です。
ロシア皇帝アレクサンドル一世がナポレオンに贈ったウラル地方の孔雀石で作られた家具一式が1811年に設置され、それがこの広間の名前となりました。
左下の緑のテーブルは孔雀石である。 |