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H291013-15 シャンボール城〜シュノンソー城〜モン・サン・ミッシェル〜ジヴェルニーのモネの家
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H291013 古城巡り シャンボール城〜シュノンソー城
ヴェルサイユのホテルから牛や羊などの牧場を見ながら濃霧の高速道路を走り、途中のパーキングエリアでトイレ休憩を挟んでシャンボール城に向かう。この日に限らず、午前中は濃霧に覆われ、ある時点で一気に霧が晴れるということの繰り返しだった。霧もある時は深くて先が見えないが、少し経つとかなり薄くなるの連続だった。
駐車場から土産物ショップを過ぎ、シャンボール城の裏手を見つつ遊歩道を歩いて正面入口へ向かう。シャンボール城は、ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城で、中央の本丸と4つの巨大な塔が特徴で、正面からの美しい姿を撮る観光客が引きも切らない。建築上の見所の一つに、二重螺旋の階段が挙げられ、二つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができる。城の表示は0階から始まるが、これはヨーロッパの独特の階数の表示で、地上階のことであり、日本で言う1階である。2階のサックス元帥のファイアンス陶器製暖炉、当時使われていたカードが展示されている娯楽室、王の寝室と儀式用の寝台、王妃の間、フランソワ1世の間などを見物する。
テラスから複雑な尖塔や屋根など城や、正面入口、フランス式庭園を楽しんだ後、二重螺旋階段を下りて中庭に着く。そこから遊歩道を歩いて駐車場へ向かう。
シュノンソー城の入園入口で手荷物検査を受けた後、並木道を南下、城の前園を進み、城の手前で右折してカトリーヌ庭園へ向かう。シェール川の水面にシュノンソー城がきれいに写っている。
シェール川に架かる橋を渡ってシュノンソー城に入ると礼拝堂があり、壁には今も、女王メアリー・スチュワートのスコツトランド衛兵隊が刻んだ英語の文が残っている。入口右側には、1543年の「人の怒りは神め裁きを成さず」と、1546年の「悪に征服されるべからず」の言葉が見られる。ギャラリー(回廊)は、第一次世界大戦中は、当時の城の所有者であったガストン・ムニエ氏が自費で城を病院に改装し、部屋は全て病院の各業務に割り当てられた。いろいろな調理器具や野菜や花の作り物で飾られた厨房、ルイ14世のサロンにあり上に飾られたサラマンダーと白鼬の紋章はフランソワ1世と王妃クロード・ド・フランスの滞在を表しているルネッサンス様式の暖炉、窓越しに見たマルク家の塔、前庭、セザール・ド・ヴァンドームの居室などを見物する。
農園を北上、引き馬のギャラリーでは、貴族が乗っていたものから、農作業に使われていたものまで、他では見ることのできない数々の馬車が展示されている。花畑を通り、ロバの牧場、並木道を経て入口の土産物ショップに至る。
H291014 モン・サン・ミッシェル
昼食のためパットン広場近くのレストランで昼食となった。前菜のカマンベールチーズのフライは切るとトロリとチーズが流れ、ワインやビールのツマミとして美味しい。このレストランはかつての馬車宿で、中庭は花や木々が美しい。ガイドからパットン広場にノルマンディー上陸作戦の2ヶ月後にパットン戦車軍団がこの町を解放したことを記念する解放記念碑がある、との説明があり、見物した。そこからモン・サン・ミッシェルまでは近かった。
モン・サン・ミッシェルは5年半前に来ているが、当時は堤防に駐車場があったが、今はかなり手前になり、シャトルバスを使うことになり、堤防横の歩道も整備されていた。ホテルでチェックインの後、シャトルバスで堤防まで来て全山岩山のモン・サン・ミッシェルを眺めた後、大通り門から入る。狭い土産物商店街は観光客で溢れ、名物プラールおばさんの「ふわふわオムレツ」店などを眺めながら歩く。前回は商店街を歩いた先の正面入口から入ったサン・ピエール教会は、今回は商店街の途中から狭く急な階段を上って横の入口から入る。大天使ミカエルの像や礼拝堂を見て正面入口から出ると、ジャンヌ・ダルクの立像がある。
修道院に向けて狭く、急な階段を上リ続け、最後に長い階段を上り切った所が修道院入口の哨兵の門である。しかし、哨兵の門を通ってからもかなり急な階段が続き、その先にあるチケット売り場は昔の守衛室であった。さらに大階段を上り聖堂へ向かうが、5年半前の前回と違い古稀過ぎの腰痛持ちなので時折屈伸運動を繰り返しながら歩いた。難行苦行の末に西側テラスに出ると付属教会の聖堂があり、尖塔には金色の大天使ミカエルがある。添乗員から後は下りるだけだ、と聞いた時は正直ホッとした。テラスからは島を取り囲む海が見える。昔は堤防がなく、潮が引いた時に歩いたとのことで、潮の満ちた時には孤島となり、取り残された巡礼者が溺死した。
西側テラスにある修道院の付属教会の聖堂に入ると、華やかさはないが歴史を感じさせる。ラ・メルヴェイユ(驚嘆)の 庭園と柱列廊は、工事中で前回見た時の美しさはない。修道院の居住区画として13世紀に増築されたが、その装飾の美しさからラ・メルヴェイユ(驚嘆)と呼ばれる。階段を下り、ラ・メルヴェイユ(驚嘆)の修道士の食堂と呼ばれる大広間、柱や天井が美しい迎賓の間、地下墓地、地下倉庫の荷物昇降用の大車輪、書写室、聖ミカエル騎士団の騎士室などを見て修道院を出る。
薄暗い修道院を抜けるとまだ日は高く、城壁沿いの道を下るが階段で休む人が多い。道は緩やかで歩きやすく、哨兵の門への階段の途中に出る。そこからは行きに歩いた階段を下っていき、サン・ピエール教会の左側の土産物商店街に進む。行きに比べ日没まで1時間ほどのせいか人出は少なくなっており、楽に大通り門を出て堤防に向かう。シャトルバス乗り場は大混雑であるが、大型バス2台を連結しており、2台目の便でホテルに戻った。夕食の前菜には名物「ふわふわオムレツ」が供された。
H291015 ジヴェルニーのモネの家
快晴の高速道路をひたすら走るが、牛や羊の牧場が当たり前だったが、紅葉、黄葉の並木が目立つようになる。セーヌ川を渡り、渓谷沿いのレストランで昼食をとる。
ジヴェルニーのモネの家は、道路を挟んで南側に駐車場と睡蓮の池、北側に庭園と邸宅がある。睡蓮の池のエリアに入り、池に引水するため作られたエプト川支流に沿って東進、エプト川支流に架かる橋を渡る。睡蓮の池を反時計回りに巡るとモネの有名な絵と同じ構図の場所が出てくる。観光客が多く、有名な撮影ポイントは渋滞が起きてなかなか進めない。時期的に睡蓮の花はなく、柳の枝もいささか伸びすぎて池に垂れ下がっているのが残念である。フジの垂れる日本橋を渡り、庭園に向かう。
睡蓮の池から連絡地下道を通って庭園に出て、道路沿いに東進する。睡蓮の池も混んでいたが、庭園はそれ以上に混んでおり、一寸刻みで歩く。庭園は南側の道路沿いに東西に遊歩道があり、その道に畝のように南北に走る小道がある。何故かこの小道には誰も入らない。理由は分からないが、立入禁止の表示がなされているのかもしれない。畝ごとの花に何らかのテーマがあるのかは分からないが、いずれの花もきれいに咲いていて、全体として見事な庭園になっている。庭園の端から北上してすぐに豊橋市から贈られた次郎柿がある。庭園の東北の端で、左にモネの邸宅があり、右奥には土産物ショップがある。
邸宅見物の最初の部屋が青の部屋で、壁一面に様々な浮世絵が飾られている。続く部屋はモネ最初のアトリエであるサロン・アトリエで、2階に上るとモネが息を引き取ったモネの寝室である。続いて再婚したアリスの部屋、写楽などの顔を描いた浮世絵が飾られたアリスの寝室、アリスの連れ子であるブランシュの寝室となる。「黄金に輝く太陽の光にあふれた」ダイニングルーム、ルーアン産の青と白のタイルの台所と経て邸宅を出る。モネの家を出て北辺、西辺の塀を回って駐車場に向かう。
見物を終えたジヴェルニーのモネの家周辺は田舎風景であり、木々は紅葉、黄葉で彩られており美しい。セーヌ川やエッフェル塔の風景を見つつ、パリのホテルに向かう。 ホテル スクリーブ パリは、オペラ座近くのスクリーブ通り沿いにあるホテルである。オペラ座にはスクリーブ通りを200mほど北上すれば良い。
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