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日比谷公園 小音楽堂右横の小道を歩く
日比谷公園の右(東側)には日比谷通りがあるが、騒音は殆どない。 |
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日比谷公園 大噴水広場触知図案内板
大噴水は、3段の水盤から成り、下段の水盤は直径30mあります。噴水の商さは地上から約7mまてあがり、コンピューター制御によりさまざまな水の演出が見られます。夜には照明により鮮やかな光の演出が楽しめます。大噴水横の小音楽堂では、毎週水曜日に定期演奏会や小さなコンサートが開かれます。 |
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日比谷公園 レストラン 日比谷パークセンター |
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日比谷公園 第一花壇(バラ園)の再生整備工事に伴う通行迂回のお願い
これも恒例の冬の手入れである。 |
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日比谷公園 再生整備工事中の第一花壇(バラ園) |
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日比谷公園 石貨
この円形の石は、南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)でお金としで使われでいた石の貨幣で、石貨と呼ばれるものです。石貨は小さいもので直径6cm位から、大きいもので直径3mに達するものまであります。
一般に 1直径の大小、2.表面か滑らかか粗いか、3形のよしあし、4運搬の難易によっで価値が決められました。
この石貨は長径1.3m短径1.00mのほぼ円形で、大正13年(1924)頃、1000円位で通用したと言われでいます。
大正14年1月 ヤップ島支庁長 寄贈 |
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日比谷公園 石貨 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 |
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日比谷公園 日本庭園 南極の石
心字池が見えだす所に幾つかの記念物が置かれているが、この南極の石のように摩滅がひどくて読みにくいものもある。 |
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日比谷公園 日本庭園 南極の石
この石は南極昭和基地から4kmの地点にある東オングル島の槙太郎山で、 日本の南極観測隊員が採取したもので、 重さ150Kgの片麻岩です。 南極観測船「ふじ」が持ち帰り、昭和41年4月14日、この公園に設置されました。 |
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日比谷公園 日本庭園 古代スカンジナビア碑 |
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日比谷公園 日本庭園 古代スカンジナビア碑
古代スカンジナビア碑
スカンジナビアの人々が、1957年2月24日ヨーロッパより北極経由で、日本への空路を開拓しました。この碑は、 北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものです。 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 |
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日比谷公園 再生整備工事中の第一花壇(バラ園) |
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日比谷公園 日本庭園 氷結した歩道 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 雪吊り
雪吊りといえば金沢の兼六園が有名である。 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 霜除け |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池北端 仙台藩祖 伊達政宗終焉の地
ここは、仙台藩祖伊達政宗から三代綱宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があったところである。慶長六年(1601年)、政宗は徳川家康より江戸屋敷を与えられ、外桜田の屋敷は寛文元年(1661年)まで上屋敷として使用された。その敷地は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷堀沿いの道路から小音楽堂付近まで広がっていたものと推定される。政宗の時代には、徳川家康が三度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各四度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に残っている。
政宗は江戸参勤の折、寛永十三年(1636年)五月、ここで七十年の生涯を閉じた。 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池北端 仙台藩祖 伊達政宗終焉の地
以前にはなかった解説板で、心字池の北端の晴海通り沿いにある。石がいくつか置かれているが、それが屋敷跡なのかどうかは不明である。 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池北端から見える東京ミッドタウン日比谷、帝国ホテル |
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日比谷公園 日本庭園 心字池
ここは日比谷公園ができる前は濠でした。その面影を残すために公園造成時に池としたもので、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしています。
このような池を心字池といい、禅宗の彫響を受けた鎌倉、室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつです。 |
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日比谷公園 日本庭園 心字池 |
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日比谷公園 日比谷見附跡 |
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日比谷公園 日比谷見附跡
この石垣は、江戸城外郭城門のーつ、日比谷御門の一部です。
城の外側から順に、高麗門・桝形・渡櫓・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。
当時、石垣の内側は濠となっていましたが、公園造成時の面影を偲び、心字池としました。 |
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日比谷公園 日比谷見附跡 |
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日比谷公園 有楽門 |
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日比谷公園 有楽門 日比谷公園 案内図 |
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日比谷通り 日比谷公園 有楽門前 日比谷交差点 |
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日比谷通り 日比谷交差点 日比谷公園 有楽門 |