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ヒゲタ醤油 銚子工場正門
住宅街の突き当りにヒゲタ醤油銚子工場正門があり、左の守衛所で見学を伝える。書類に氏名、住所などを記載するとパンフレットを渡され、正面の建物まで進むよう言われた。間もなく担当の社員が迎えに出てきた。
一人だけでも工場見学に対応するとのことだった。会社紹介の映画上映中に2名、終了間際に3名が参加し、計6名で工場見学した。なお、後から参加の3名は工場見学後、映画上映を行った。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場正門
フレスコ画のある醤油蔵
ヒゲタしょうゆ創業385周年を記念し、弊社の企業理念とする「天地人に感謝」をテーマとしたフレスコ壁画(たて2.8mよこ10m)が当醸造蔵内にあります。
このフレスコ画はイタリアで500年前から使われてきた伝統的な美術技法で、坂田秀夫・由美子夫妻(イタリア在住)によって制作されました。
平成13年(2001年)11月吉日 ヒゲタ醤油株式会社 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 映写室
まず映写室に通され、ヒゲタ醤油の歴史と企業紹介を行う映画を見た。
映写室に入ってすぐ左には人気のロボットPepperがあり、タッチ画面を使って色々なことをするそうである。子供たちが喜びそうな仕組みである。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 映写室 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 映写室
ヒゲタのマークの由来
1616年(元和2年)、田中玄蕃が千葉県銚子の地にしょうゆ業を創業した当時のマークは、田中家の屋号であった「入山田(ヒゲタのマークで上がないもの)」でした。
「田」にヒゲがついた由来には二説あり、その一つは、創業者の田中玄蕃がしようゆ造りに適した水を探していた時、夢枕にヒゲの仙人が現れ、良い水の出所を教えてくれたとかで、このヒゲの仙人に感謝して「田」にヒゲをつけたという説(玄蕃の井戸として創業期の井戸が現存するための伝説と思われる)。もう一説には、元禄の頃(1688年〜1704年)、「入山田」のマークを書いていた時、「田」の上端から墨汁の余りが垂れてヒゲのようになったので、他の端にも同じようにして見たらおもしろい図案になったので、これを印にしたという説がありますが、この墨汁説が真相のようです。いずれにしても「田」にヒゲガついてから「ヒゲタ」と呼ばれるようになりました。
左肩の「上」の印は、1864年(元治元年)に幕府より物価引き下げ令が出た時、千葉県の銚子と野田の7銘柄に対しては「最上醤油」という名称が許され、「ヒゲタ」もその一つに選ばれ従来価格を認められました。それ以後「上」の印をつけるようになり、現在のマークガ完成しました。
(ホームページ管理者による注釈)
『「田」にヒゲがついた』とは、「田の四隅にヒゲがついた」と言う意味である。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 映写室
上映開始時には一人しかおらず、申し訳ない気がしたが、すぐ老夫婦が参加し、終了間際に更に老夫婦と青年が加わった。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場
工場の正門の正面に見える工場で最も古い建物で醤油製造の工程を見学する。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー
入ってすぐに醤油製造に関わる資料展示コーナーがあり、その奥の扉で隔離された一画が醤油製造工程である。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー
歴史年表の上からヒゲタ醤油の前身である銚子醤油の濱口家、田中家、深井家の歴史が、下段に世の中の動きが記されている。
大正3年に、ヒゲタ・田中家とジガミサ・濱口家と・カギタイ・深井家の3家が 三蔵合弁して銚子醤油を設立した。昭和51年にヒゲタ醤油株式会社に社名変更した。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー
高級割烹しょうゆ 本膳
四世紀にわたる
醤油づくりの伝統をもとに
日本料理「つきぢ田村」様の
ご要望から生まれた
超特選しょうゆです。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 資料展示コーナー
年表の大正3年の項目である。
江戸時代から伝統あるジガミサ印を継承した濱口宸、醤油醸造業として古い歴史を持つ田中家、カギダイ印とジョウヅル印を江戸時代から売り出していた深井家の三家により、銚子醤油合資会社を設立。
「ヒゲタ」を統一ブランドに
江戸時代に、「最上醤油」として認められ、販路を拡張。明治時代にも宮内省御用達、陸軍罐詰製造用の醤油に指定されるなど、ヒゲタの品質は高く評価されていた。
このことから、ジガミサ印、ヒゲタ印、カギダイ印、ジョウヅル印のうち、ヒゲタ印を統一ブランドとして販売するに至った。
銚子醤油株式公社に改組(濱口吉兵衛が初代取締役社長になる)。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程
奥の扉で隔離された一画が醤油製造工程である。
会社によっては製造工程の写真撮影を禁じているが、ヒゲタ醤油では撮影可能との事前説明がある。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 玄蕃丸
説明板の摩耗が激しく、解読困難で誤りがあるかもしれない。
ヒゲタ創業三七〇周年を記念して船を作りました。
江戸時代には利根川を利用して製品や原料を船で運んだものです。
ヒゲタしょうゆの創業者「田中玄蕃」にちなんで、玄蕃丸と命名しました。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 玄蕃丸 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 玄蕃丸 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 大桶 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 大桶
大桶
この大桶ば昔実際に諸味の仕込桶として使っていたもので、約八十年たっています。
木の桶は大切に扱えば百年以上使えるといわれています。 高さ二・四メートル、直径二・五メートルあり、杉の木と竹のたがでできています。
この大桶一本の諸味から一リットルパックで一万本のおしょうゆをつくることができます。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 フレスコ画
●「天地人」フレスコ画について
平成13年、日本で「イタリア2001年祭」が開催されました。
そしてこの記念すべき年にヒゲタ醤油株式会社は創業385周年を迎えました。
ヒゲタ醤油では、千集県出身でイタリア在住のフレスコ画家坂田ご夫妻との巡り合いを機に、イタリアの伝統的美術フレスコ画を5000年前の技法(日本に初めて紹介)で、ヒゲタ醤油の『天・地・人』に感謝する精神を描画することになりました。
イタリアでも稀といえるサイズ(10mx2.8m)で、糊剤の人つていない「漆喰壁」に一般公開しながら、記念制作いたしました。
●制作者について
坂田 秀夫 1934年
東京の向島生れ
坂田由美子 1946年
千葉の習志野生れ
1995年 北イタリ了のフレスコ画の巨匠
ヴィーコ・カラブロ画伯の弟子となる。
イタリア国ヴェネット州ヴィチェンツア県
カドーニョ市在住 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 フレスコ画 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 フレスコ画
フレスコ画中の人物、物に対する説明である。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 醤油製造工程 フレスコ画 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 資料館に向かう
資料館で各自が展示品を見る。入館前に説明員から土産のヒゲタ醤油の小瓶を貰い、併設されている販売コーナーでヒゲタ醤油の製品やぬれ煎餅などの銚子の土産を購入することができる。 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 資料館 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 資料館 |
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ヒゲタ醤油 銚子工場 資料館
ごあいさつ
ヒゲタ資料館に、ようこそいらっしゃいました。当社は、元和二年(一六一六年)に創業以来、この地で醤油醸造を営み、四〇〇年を超える歳月が経過しました。
今日までの自社の足跡を振り返るため、この資料館を昭和六〇年四月に開設し、お客様との繋がりを感じる場として、公開して参りました。
ここに展示しました史料は、質量とも決して十分とは言えませんが、ご覧くださって、当社の醤油づくりの一端をご理解いただけましたら、たいへん幸せに存じます。 |