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JR 山手線 鶯谷駅 北口
寿老神(元三島神社)〜福禄寿(入谷鬼子母神)〜三面大黒天(英信寺)〜毘沙門天(法昌寺)〜昭和通り〜朝日弁財天(弁財院)〜恵比寿神(飛不動尊)〜一葉記念館〜布袋尊(寿永寺)〜(大関横丁交差点〜浄閑寺〜三ノ輪駅
【撮影記録】
平成29年 1月 13日 快晴 後 曇り
10:30〜14:45(昼食 60分) 5,200歩(概算 3.4km 地図上の距離 3.4km)
KSN(川崎シニアネット)主催の散策イベントとして鶯谷駅から三ノ輪駅に至る下谷七福神巡りが行われた。七福神巡りは各所で行われているが、川越や吉祥寺のように広範囲を歩き、単なるガイドマップだけでは道に迷うものもあるが、下谷七福神は狭い地域を巡るので比較的歩きやすい。尚、コース沿いにあるので飛不動近くの一葉記念館、終点の三ノ輪駅近くの投げ込み寺の浄閑寺にも立ち寄った。、 |
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鶯谷駅北口から突き当りの左角を曲がる |
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曲がってすぐに右折し、小路に入る
小路に入るとすぐ正面に元三島神社の社殿が見える。 |
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小路正面の元三島神社の社殿下で左折 |
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元三島神社(寿老神)に入る |
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元三島神社(寿老神) 御縁起
当社はご祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀申すものである。
例大祭はご祭神勧請の時にちなみ五月十四日十五日とする。(但し現在交通事情により五月第二土曜、日曜とする)
元三島神社はそもそも第六十二代円融天皇の御代に日本総鎮守の称号を賜り、明治においては国幣大社に列せられ、四国唯一の大社、大山祇神社をご本社に頂くものである。
当社の由来はご本社大山祇神社のご分霊によるものであり、その源を弘安四年の役に発する。すなわち弘安四年、勇将河野通有、三島水軍を率いて大山祇神社に必勝の祈を捧げて神恩加護を仰ぎ武功赫々として帰国したところ夢の中に神のお告げを得て大山祇明神武蔵国勧請の発願を時に上野山中にあった河野氏の館にご分霊を鎮座申したことに始まったと伝わる。後、室町の代を通じ社運の隆盛いよいよ募り江戸の代に入っては徳川家より社領拝領預かるが慶安三年(一六五〇)三代将軍家光の時金杉村に移転ついで宝永六年(一七〇九)社地幕府御用地となるに及び代替地に浅草小揚町を賜って再び遷座の運びとなる。 」
しかるに、代々金杉村に住む氏子住民から氏神様の地元遊雛は誠に不都合と赤誠こもる訴えが起こり金杉根岸の村民相寄り協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀を図りこれを元三島神社と称し今日に至る。
旧社殿は明治四年の再建であるが昭和二十年、戦火で消失以後昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。 |
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元三島神社(寿老神) 階段を上り社殿へ |
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元三島神社(寿老神) 社殿
寿老神(元三島神社)
延命長寿の神
寿老神は延命長寿の神で中国道教の神、又老子の化身の神ともいわれています。寿老神は杖を手にし、杖に結びつけられた軸物は人命の長寿をしるした巻物といわれ、伴っている鹿は長寿をつかさどる神使とされています。元三島神社は弘安の役の折勇将河野通有、四国の大山祇神社に必勝祈願、出陣をなし、神恩加護の下武功赫々として帰陣したところ夢中に神のお告げを得て大山祇神を武蔵国は上野山中に鎮座申したことに始まったと伝わっています。 |
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元三島神社(寿老神) 社殿 東京都神社庁のお知らせ
お伊勢様と氏神様の御神札をおまつりしましよう
うれしい知らせがあったとき。気分か落ち込んでしまったとき。何かを決意したとき。
ふと、神さまに手を合わせたくなることがあります。そんなとき、心静かに手を合わせられる場所が身近にあれば、日々の暮らしはもっと穏やかなものになるでしょう。
御神札をまつることで、神さまをより近くにお迎えすることができます。お部屋の中に、自分だけの「祈りの場」がある暮らし、始めてみませんか。 |
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鶯谷駅周辺のホテル街を歩く
鶯谷駅周辺はラブホテルが集積していることで有名で、ホテル街を歩いて言問通りに向かう。 |
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元三島神社入口交差点で右折、言問通りへ |
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言問通りを東進 |
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言問通り 入谷鬼子母神(福禄寿)に入る
入谷鬼子母神は雑司ヶ谷鬼子母神と並んで有名であり、7月の朝顔市では大混雑で立錐の余地もない。 |
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言問通り 入谷鬼子母神(福禄寿)
入谷鬼子母神
入谷鬼子母神は、日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は、万治二年(一六五九)日融上人により創建された。
鬼子母神は、鬼神般闍迦の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、子どもを奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたという。以後、「小児の神」として児女を守る善抻となり、安産・子育の守護神として信仰されるようになった。
入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない「鬼」の字を使っている。
また、七月上句、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのは明治に入ってからで、十数軒の植木屋が朝顔を造り観賞させたのがはじまりといわれている。当時この地は、入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。
大正初期、市街化により朝顔巾は途絶えたが、昭和二十五年復活。以後、下町情緒豊かな初夏の行事として親しまれている。 |
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言問通り 入谷鬼子母神(福禄寿) 福禄寿
言問通りから入ってすぐ右にある小堂である。
福禄寿(入谷鬼子母神)
人望福徳の神
福禄寿は中国の道士(仙人)で、その姿は短身、長頭、多髪で杖に巻物を結び鶴を伴い三徳具備の相を表しております。尚、当山には安産、子育の鬼子毋尊神を勧請しております。又当地は江戸末期より朝顔作りが盛んであったので朝顔市が毎年7月6〜8日とり行われます。 |
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言問通り 入谷鬼子母神(福禄寿) |
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言問通りを戻り根岸一丁目交差点で右折、金杉通りへ |
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金杉通りを北上
上野界隈は戦火に遭っているはずだが、姑息騒然とした建物が点在する。 |
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金杉通り 英信寺(三面大黒天)に入る |
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長い参道を歩き、英信寺(三面大黒天)に入る |
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英信寺(三面大黒天)
大黒天は本堂の左にある。 |
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英信寺(三面大黒天) 大黒天
三面大黒天(英信寺)
有福蓄財の神
古くから、坂本大黒堂の英信寺と言われた当山に安置されている弘法大師御作と伝えられる三面大黒天は、ほんとうの有福(心の豊かさ)を育ててくださる、あたたかい御尊体で、右に弁財天、左に毘沙門天の三ツの顔を持つ大黒さまです。合掌をして、“オンマカキャラヤーソフカ”と、となえて、心を豊かにしていただき、出世・開運・商売繁盛等の手助けをしていただきます。大黒天・弁財天・毘沙門天は仏教の守り神(天)です。 |
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英信寺(三面大黒天) 大黒天 |
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英信寺(三面大黒天) 数珠になっている綱 |
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英信寺(三面大黒天) 七福神巡りの案内図
ここまでの七福神巡りは分かりやすい所にあったが、今までの経験から一般的には住宅街の細道や田圃の中など探すのに苦労する。この案内図によれば、次の法昌寺(毘沙門天)は金杉通りを北上し、床屋で右折と分かる。 |