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JR 山手線 大塚駅
大塚駅〜(都電 荒川線)〜雑司ヶ谷 鬼子母神〜(都電 荒川線)〜面影橋駅〜神田川〜東京染ものがたり博物館〜甘泉園公園〜水稲荷神社〜早稲田大学
【撮影記録】
平成28年 9月 28日 晴れ 後 曇り
10:30〜12:50 2,100歩(概算 1.4km)
KSNは川崎の55歳以上の会員で構成され、IT活用を目的とした団体である。今回幹事立案のイベントに参加したが、コースの性格上、立ち止まっていることが多く腰に負担がかかり、持病の腰痛のため完歩出来ず、早稲田大学の大隈講堂に着いた時点でリタイアした。そのため、演劇博物館、穴八幡、戸山公園は歩けなかったが、過去の撮影分をリンクした。 |
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都電 荒川線 大塚駅前駅
JR 大塚駅の東側に隣接し、山手線の高架下を南北に貫く形で駅がある。 |
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都電 荒川線 鬼子母神前駅
大塚駅前駅から約6分で、4駅目の鬼子母神前駅で下車する。荒川線の線路沿いに東京メトロ副都心線が走り、鬼子母神前駅の地下に雑司が谷駅がある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木
鬼子母神前駅から荒川線の線路を渡り、商店街を北西に進むと大門ケヤキ並木のアーチがある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木
「鬼子母神大門欅並木」の石碑がある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木
東京都指定天然記念物 鬼子母神大門ケヤキ並木
鬼子母神堂は、江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣者を集めてきました。江戸後期には、将軍の御成もあったほど大いに繁盛しました。参道には名物の大きなケヤキ並木とたくさんの茶店、料亭などが並び、参詣土産には、現在も造られている「すすきみみずく」などが売られていました。かつては大径のケヤキが多く、荘厳な風景をかもし出していましたが、現在は徐々に若いケヤキに植え替えられ、巨木は四本のみです。毎年一〇月に行われるお会式(おえしき)には万灯行列が周辺を練り歩き、往時のにぎわいを伝えています。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 突き当りで左折
右折すると明治に神仏分離令により法明寺(鬼子母神)から分離した大鳥神社がある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道
永禄4年(1561)柳下若狭守の家臣が目白の地から掘り出し、東陽坊という寺に納めたという鬼子母神像。安土桃山時代にはこの地に堂宇が建てられ、今なお安産・子育の神様として広く信仰を集めている。境内には「子授け銀杏」といわれる樹齢約700年の大イチョウ、石像の鬼子母神像などが点在する。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道
表参道に入ってすぐに二体の石造の仁王像があり、左が吽形、右が阿形である。
吽形の仁王像の左に子授けイチョウがある。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 都天然記念物 子授けイチョウ
樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によるど、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 天然記念物 子授けイチョウ
雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、一属一種のイチョウ科に属する、裸子植物の落葉高木である。耐寒耐暑性があり、社寺の境内樹・庭園樹・公園樹・街路樹などに広く植栽されている。中国原産といわれ日本へは、遣唐使の帰国によってもたらされたという説もある。雌雄異株で、四月に開花し一〇月に種子(銀杏)は成熟し、黄葉する。 樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によると、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 戦捷記念碑
日露戦争の記念碑で、裏面に戦死者の氏名が記されている。
揮毫は従三位子爵岡部長職である。普通このような記念碑は軍司令官などの揮毫が多いが、岡部長職は外務大臣、東京府知事などを歴任した旧岸和田藩主の文官である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 土産物店 上川口屋
鬼子母神というと必ず紹介される有名な駄菓子屋である。以前は名物のススキの木菟が売られていたが、見なくなって久しい。参拝客が木菟は売られていないのか、と店主に聞いたら、大門ケヤキ並木の雑司ヶ谷案内処で売られているとのことだった。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂
『新編武蔵風土記稿』によると建立は天正六年(一五七八)五月三日であるが、そののち寛文四年(一六六四)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。 拝殿と幣殿(相の間)は元禄一三年(一七〇〇)に建立されたことが、昭和五一年におこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文で確認されている。 本殿は桁行六・〇四メートル、梁間5・77メートル、一重、流造、桧皮葺形銅板葺。相の間は桁行六・〇六メートル、梁間六・〇4メートル、一重、両下造、とち葺形銅板葺。拝殿は桁行一七・八六メートル、梁間一一・八一六メートル、一重、入母屋造。厨子は一間厨子、入母屋造、軒唐破風附本瓦形板葺。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 案内処 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 表参道 大門ケヤキ並木 雑司ヶ谷 案内処
民芸品であるせいか、大で5,000円と結構な値段のススキの木菟である。 |
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都電 荒川線 鬼子母神前駅
鬼子母神前駅に戻り、面影橋に向かう。 |