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小倉駅南ペデストリアンデッキ、北九州モノレール
博多駅〜小倉駅〜下関駅〜赤間神宮・春帆楼〜壇ノ浦古戦場跡・関門橋〜門司港レトロ〜小倉駅
【撮影記録】
平成30年 9月 19日 晴れ 後 曇り 時々小雨
8:02博多発、8:54小倉着の特急ソニック5号で小倉に着き、翌日の宇佐行きの特急を8:00発のソニック3号から9:17発のソニック7号に変更した。宇佐から宇佐神宮までのバスが9時台にないためである。
天候は博多ほど良くなく、蒸し暑さは増していた。そのため、博多ほどひどくはなかったが、下関駅から壇ノ浦までの歩行と、関門橋の人道利用は中止し、タクシーやバスを利用した。また、小倉城界隈の散策もできなかった、 |
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小倉駅南ペデストリアンデッキ 祇園太鼓像
ペデストリアンデッキは小倉駅南口の2階に接続し、平和通りの東西を結ぶ。高架は平和通りの上を走る北九州モノレールである。三船敏郎主演の無法松の一生で有名な祇園太鼓を演じる像がペデストリアンデッキの東入口にある。 |
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小倉駅 平和通り ダイワロイネットホテル小倉駅前 |
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小倉駅 平和通り ダイワロイネットホテル小倉駅前
今回の旅行は3ヶ所で宿泊するが、全て翌日は8時頃の列車に乗る計画である。そのため、駅から5分程度のホテルを選んでいるが、博多はANA,、大分はJR系列のシティホテルにしたが、小倉は該当するホテルが見当たらず、普通のビジネスホテルとなった。
小倉の天候は晴れ、昼過ぎから雨がぱらつくという事で、温度は博多より若干低いが、湿度は高いとのことである。時刻は9時半過ぎだが、汗が流れ落ちる。 |
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下関駅 東口駅前 バスロータリー
小倉駅から下関行の電車に乗るが、小倉駅の次の門司駅で下関駅行きと門司港駅行きとに分岐する。理由は分からないが、門司駅で4分停車してから関門海峡の海底トンネルを通って下関駅に向かう。 |
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下関駅 東口駅前 バスロータリー |
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下関駅 東口駅前 バスロータリー
今年は明治維新150周年で、東京ではほとんど話題にもならないが、さすがは維新の立役者である長州、それも多くの場面に出てくる下関なので何種類かの小旗が飾られている。
写真は高杉晋作の藩内クーデターである功山寺挙兵(回天義挙)を描いたもので、寺は壇ノ浦の近くにある。 |
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下関駅 東口駅前 バスロータリー
写真は蒸気船であるが、どの場面を描いたものか分からない。四国艦隊下関砲撃事件は敗北なので、小倉方面の四境戦争の場面かもしれない。 |
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下関駅 東口駅前 シーモール下関
昭和52年下関大丸とダイエーを核とする複合商業施設として誕生、その後ダイエーの撤退などがあり、現在はシーモールパレス(結婚式場)、シネマコンプレックスなどを持つ施設となっている。 |
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下関駅 東口駅前 結婚式場 ノートルダム下関
一見なんの施設だろうか、と思わせる特徴ある建物である。バスターミナルを挟んで下関駅に対面する。 |
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下関駅 東口駅前 準鉄道記念物 車両航送発祥の地
本州九州間の国鉄貨物輸送に大変革をもたらした貨車航送は鉄道院から下関・小森江(北九州市門司区小森江笠松町)間の航送作業を請け負った宮本高次(下関市宮本組)が明治四十四年三月一日から試航送を行ない同年十月一日鉄道院とこの航路を関森航路として正式に営業を開始しました
宮本高次はかねてから貨車航送について深い関心をよせ航送作業を請け負うに当り私財を投じて七トン貨車三両を積載する艀三隻とこれを曳航する小蒸気船三隻を建造し当時の困難な海陸連絡輸送を打開しました
この貨車航送はわが国の車両航送のはじまりであり当時の下関側発着場がこの地点です
昭和四十一年十月十四日指定
日本国有鉄道 中国支社
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下関駅 東口駅前 準鉄道記念物 車両航送発祥の地 |
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下関駅 東口駅前 準鉄道記念物 車両航送発祥の地 |
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下関駅 東口駅前 歩道橋下交差点で右折
県道323号下関停車場線は、下関駅からシーモール下関前を経てこの交差点で右折、竹崎交差点で北側を東西に走る国道9号線に接続する。 |
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下関駅 東口駅前 下関港国際ターミナル手前の交差点でUターン
Uターンして歩道橋下交差点で右折、シーモール下関前を直進する道路を東進する。 |
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エディオン下関店前を東進
道路の向かい側にはパチンコ店の永楽本店P−worldがある。 |
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エディオン下関店 界隈案内図 |
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エディオン下関店 界隈案内図
シーモール下関
シーモール下関は、下関駅前にあり、各種専門店、スーパーが併設する大型商業施設で、ランドマーク的な存在となっています。ショッピングの他に、イベントなども行われています。
下関港国際ターミナル
下関港国際ターミナルは、韓国・釜山と中国・青島に定期便が就航しています。釜山には毎日1便、青島には週2便のフェリーが発着しています。
海峡メッセ下関
海峡メッセ下関(山口県国際総合センター)は、展示見本市会場、イベントホールなどを集積した会議施設です。国際会議などが開かれる大きな会議室や設備が整っています。 |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター) |
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エディオン下関店から海峡ゆめ広場に入る
エディオン下関店との間の歩道には名は知らぬが薄ピンクや桃色の花が咲く街路樹がある。 |
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エディオン下関店から海峡ゆめ広場に入る |
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エディオン下関店から海峡ゆめ広場に入る
タイムカプセル碑
下関市制100周年
100年の風雪に耐え 今日の繁栄を築いた先人の偉業に感謝を捧げるとともに本市の輝かしい未来への発展を祈りつつ ここに100年後の市民の皆さんに玉手箱を贈ります
平成元年4月1日 |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター) |
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海峡ゆめ広場 準鉄道記念物 関釜 関門航路 下関鉄道さん橋跡 |
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海峡ゆめ広場 準鉄道記念物 関釜 関門航路 下関鉄道さん橋跡 |
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海峡ゆめ広場 準鉄道記念物 関釜 関門航路 下関鉄道さん橋跡
下関鉄道さん橋は 明治三十四年五月の関門航路 同三十八年九月の関釜航路開設に伴って 大正三年七月に本格的な岸壁を築造その歴史的第一歩を印した
その後関釜航路は隆盛の一途をたどり 昭和十一年には 当時 わが国の優秀船として海運界に注目された七千トン級の金剛丸型が就航した さらに 昭和十七年には八千トン級の天山丸型が就航し これらの出入り船が長さ五六二メートルの大岸壁を圧し 多くの人に愛しまれ 親しまれた
しかし これら国鉄が誇った海の女王たちも 第二次大戦で ほとんどが沈没座礁するなどの大打撃を受け 昭和二十年八月 終戦とともに関釜航路は営業を中止した
一方 関門航路は 本土・九州間連絡の幹線として また 関門市民の足として親しまれ利用されたが 関門鉄道トンネルの開通などにより 昭和三十九年七月 その使命を終わった
今回 下関港が新しい使命を帯びて生まれ変わるにあたり 半世紀にわたる輝かしい業績を残した ここ 下関鉄道さん橋跡に碑を建立し 当時の けい船柱を保存して かつての栄光の歴史を永久にしのびたい
昭和四十四年九月十一日
日本国有鉄道 中国支社長
昭和四十四年十月十四日
準鉄道記念物指定 |
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海峡ゆめ広場 準鉄道記念物 関釜 関門航路 下関鉄道さん橋跡 |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター)
キラキラ輝くクリスタルの様に、朝・昼・夜、刻々と変わる海峡の風景を映しながら、遥か天空をめざしそびえる全長153mの「海峡ゆめタワー」。
平成8年(1996年)7月に関門海峡のランドマークとして誕生しました。
3層からなる球状の展望室の最上階は、日本有数の143mを誇ります。
展望室からは瀬戸内海、関門海峡、巌流島、九州の連山そして響灘(日本海)と360度の雄大なパノラマが一望に広がります。
移り行く光と影、響灘に沈むサンセット、海峡を埋めつくす煌めく夜景も…。
訪れた折々で、多彩な海峡の表情を楽しむことが出来ます。 |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター) |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター) |
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海峡ゆめ広場 海峡ゆめタワー、海峡メッセ下関(山口県国際総合センター) |