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平安神宮 駐車場から冷泉通りを東進
新横浜駅での天気予報では京都は午後から曇りで、雨は上がっているはずだった。朝ほど激しくはないが、傘をささないとずぶ濡れになる程度には降っている。 |
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冷泉通り 平安神宮 應天門 |
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冷泉通り 平安神宮 應天門 平安神宮案内
平安神宮
平安京奠都の延暦十三年(七九四)より千百年にあたる明治二十八年(一八九五)、桓武天皇を祭神として創建された。紀元二千六百年にあたる昭和十五年(一九四〇)には、平安京有終の天皇である孝明天皇も合祀された。
社殿は、平安宮の中心施設である朝堂院をおよそ八分の五に縮小して復元されている。二層の神門は應天門、中央正面一層入母屋造の拝殿は大極殿、そこから連なる左右の回廊から東に蒼龍楼、西には白虎楼がある。いずれも平安京のものを厳密に考証して復元された国指定重要文化財である。なお、昭和四年に建立された大鳥居及び昭和十五年に増築された社殿群は国の登録有形文化財である。
本殿の背後一帯には、約三万平方メートルからなる神苑が広がる。四つの池を中心に、各時代の庭園形式を取り入れた池泉回遊式の近代を代表する広大な日本庭園で、国の名勝に指定されている。
例祭は四月十五日。平安奠都の日にあたる十月二十二日には、本神宮の祭礼として、京都三大祭の一つである時代祭(京都市無形民俗文化財)が行われ、千年にも及ぶ各時代の歴史風俗絵巻が錦秋の都大路にくりひろげられる。
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冷泉通り 平安神宮 應天門 案内図 |
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冷泉通り 平安神宮 應天門
国指定重要文化財 應天門
應天門は、平安京大内裏の正庁朝堂院の南面正門で延暦十四年(七九五)に造営された鴟尾を置く二層碧瓦葺の建物で左右両廊から栖鳳・翔鸞の二楼につながっていた。
この門は、平安遷都千百年にあたる明治二十八年に往時の様式を復元し、平安神宮の「神門」として建造されたものである。
建坪三四、一〇坪(約一一二平方メートル)
棟高六〇、八四尺(一八、四三メートル)
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平安神宮 大極殿 |
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平安神宮 大極殿 |
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平安神宮 大極殿西 白虎楼、右近の橘 |
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平安神宮 大極殿西 白虎楼、右近の橘
大極殿の左手前に橘が植えられており、右近の橘と言われる。大極殿に向かって左にあるが、案内の立て札に書かれているように、儀式の時に右近衛府の官人がその側に並んだことによる。 |
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平安神宮 大極殿西 白虎楼、右近の橘
右近の橘
平安時代以降、紫宸殿の南階下の西方に植えられた橘のことを「右近の橘」といい「左近の桜」と併称される。
儀式のとき、右近衛府の官人がその側に列したことから、名付けられた。
橘は、蜜柑の仲間で唯一の野生種であり、その実は、古くから「常世国」の不老長寿の妙薬として珍重された。
さつき待つ 花橘の香をかけば
昔のひとの 袖の香ぞする 古今集 |
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平安神宮 大極殿 龍尾壇
大極殿 国指定重要文化財
大極殿は、古代の役所の建造物のなかで最も重要な建物で、天皇が政務を執られ朝賀・即位などの重要な儀式が行われた。
明治二十八年、平安遷都千百年記念事業の一環として、平安時代の様式を模して大極殿が建造された。
規模は往時の二分の一で、屋根は一重、入母屋造りで、碧瓦を用いた本瓦である。平安神宮の大極殿は、平安時代の栄華を偲ぶことのできる唯一の文化遺産である。 |
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平安神宮 大極殿 龍尾壇
大極殿内には明日の時代祭で使われる鳳輦二基が飾られているが、撮影禁止である。 |
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平安神宮 大極殿から見た應天門 |
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平安神宮 大極殿東 蒼龍楼、左近の桜
左近の桜は少し紅葉化して赤くなっている。 |
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平安神宮 大極殿西側の回廊に並べられている時代祭の旗や裝束
時代祭は翌日の10月26日に京都御所の建礼門前から時代行列となり、烏丸通を南下、三条通を東進して神宮通を北上するコースで平安神宮に至る。尚、時代祭は本来10月22日に行われるが、今年は即位礼正殿の儀が行われるため開催日が変更となった。
無造作に回廊に並べられており、赤い旗は淀君や巴御前、静御前、淀君などの名前が書かれている。 |
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平安神宮 大極殿西側の回廊に並べられている時代祭の旗や裝束 |
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平安神宮 大極殿西側 神苑入口風景 |
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平安神宮 大極殿西側 神苑入口付近の回廊に並べられている時代祭の裝束
無造作に並べられているダンボールは神幸列のわらじ、わらぐつ、タビックスなどである。 |