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清水坂〜産寧坂〜霊山観音

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清水坂を下る 清水坂を下る 

どこかで昼食を、と思うが土産物店ばかりである。
清水坂を下る 清水坂を下る 
清水坂を下る 右折して産寧坂を下る 清水坂を下る 右折して産寧坂を下る 

産寧坂を上ってきた中国人団体が通り過ぎるのを待つ。左側には五条坂がある。
 産寧坂を下る 産寧坂を下る 
 産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂を下る 明保野亭 産寧坂を下る 明保野亭 

明保野亭事件

場所は若干違うが、幕末の元治元年6月10日に池田屋事件後に長州藩士探索中の会津藩士と新選組の合同隊が、明保野亭に踏み込んだところ逃げ出した武士がいた、会津藩士が手槍で背後から突いたところ、土佐藩士であると名乗り、身元確認が出来たので藩邸に送った。
しかし、土佐藩では逃げた上に背後からの傷であることを士道不覚悟として翌日に切腹に処した。このことが土佐藩の会津藩に対する不満となったため、藩が処置に困り自主的に会津藩士が切腹するという事件があり、世に明保野亭事件といわれた。
 産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 

興正寺霊山本廟

当寺は真宗興正派本山興正寺(京都市下京区七条堀川)の飛地境内で、宗祖親鸞聖人の御骨が収まる本廟(御霊屋)であり、全国門信徒の総納骨所です。
この地は釈迦が初めて説法されたインドの「霊鷲山」に似ているところから霊山といわれ、法然上人が別時念仏を偐せられた所でもあります。
境内には、京都の近代画家、菊池契月・養父の菊池芳文画伯の墓、勤皇の志士三国大学の顕彰碑なとがあります。
産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 圓光大御旧蹟 産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 圓光大御旧蹟 

圓光大師とは法然上人のことである。
産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 見真大師 霊山御本廟 産寧坂を下る 興正寺霊山本廟 見真大師 霊山御本廟 
 産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂を下る 産寧坂を下る 
産寧坂 右折して二寧坂を下る 産寧坂 右折して二寧坂を下る 

道標に従って右折する。
二寧坂を下る 二寧坂を下る 
二寧坂の路地を進む 二寧坂の路地を進む 
二寧坂の路地を進む 二寧坂の路地を進む 
二寧坂の路地を進む 左折すると一念坂 二寧坂の路地を進む 左折すると一念坂 

一念坂を進むと維新の道に出て、それを渡ると高台寺のねねの道に入る。高台寺に行くには右折して維新の道を東進するが、それはこの交差点を直進して維新の道と交差する所と同じである。そのため、一念坂には行かずに直進する。
二寧坂の路地を進む 維新の道との交差点 京都霊山護国神社 二寧坂の路地を進む 維新の道との交差点 京都霊山護国神社
 
二寧坂の路地を進む 維新の道との交差点 京都霊山護国神社 二寧坂の路地を進む 維新の道との交差点 京都霊山護国神社 

撮影に失敗し、ボケている。
 維新の道を渡り、道標に従って進む 維新の道を渡り、道標に従って進む 
 維新の道を渡り、道標に従って進む 維新の道を渡り、道標に従って進む 
 霊山観音 駐車場 霊山観音 駐車場 

道標に従って進むと霊山観音の駐車場に出る。

右の大きな建物は霊山観音で、左の大きな木の下に高台寺がある。
霊山観音 駐車場 熱中症計は厳重警戒 霊山観音 駐車場 熱中症計は厳重警戒 

現在時刻は13:30で、温度.29.8℃、湿度は83%、熱中症計は厳重警戒である。

現在時刻は11:55で、温度.31.8℃、湿度は高湿度で計測不可能、熱中症計は厳重警戒だった。雨が15時頃降るとの予報だったので、温度も湿度も下がってきたが、蒸し暑さは変わらない。
 霊山観音 霊山観音 



 
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