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隅田川テラス〜言問橋〜浅草駅

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墨堤通り 隅田川テラス 桜橋 墨堤通り 隅田川テラス 桜橋 

桜橋

桜橋は、台東区今戸と墨田区向島との間で、隅田川両岸の“隅田公園¨を結ぶ、隅田川ては最初の、そして唯一の歩行者専用橋てす。橋の創架は昭和60年(1985)隅田公園の施設の一つとして、台東区と墨田区の共同事業で架橋されました。形状は平面のX字形の特異な形をしています。花見のシーズンには、両岸の桜を楽しむ多くの人かこの橋を渡ります。
墨堤通り 隅田川テラス 桜橋界隈案内図 墨堤通り 隅田川テラス 桜橋界隈案内図 
 墨堤通り 隅田川テラス 桜橋、台東リバーサイド スポーツセンター 墨堤通り 隅田川テラス 桜橋、台東リバーサイド スポーツセンター 

天気も良く、風も心地良いため隅田川テラスを歩くことにした。下流には言問橋も見えるため、時折腰痛対応の屈伸運動をしながら歩いた。しかし、これが失敗で、墨堤通りを歩いていれば裏口からではあるが三囲神社に入ることが出来たのに、言問橋に来た時は戻るのが面倒だった。
墨堤通り 隅田川テラスを南下 墨堤通り 隅田川テラスを南下 
墨堤通り 隅田川テラス 隅田川を遡上する水上タクシー 墨堤通り 隅田川テラス 隅田川を遡上する水上タクシー 

東京オリピックで水都東京をアピールするため水上タクシーの運行が始められた。まだ試行錯誤中とのことであるが、船体はズングリムックリとしており、乗りたいという気にはならない。
墨堤通り 隅田川テラス 言問橋手前の階段を上る 墨堤通り 隅田川テラス 言問橋手前の階段を上る 
墨堤通り 土手を歩き、言問橋の下を進む 墨堤通り 土手を歩き、言問橋の下を進む 

隅田川テラスから階段を上り、土手に出たが言問橋に出ることが出来ない。言問橋か吾妻橋に出られる所を探して歩く。
言問橋下交差点で墨堤通りを渡り、言問橋への階段を上る 言問橋下交差点で墨堤通りを渡り、言問橋への階段を上る 

言問橋の下をくぐり抜けると言問橋下交差点があり、左奥に言問橋への階段が見えた。交差点の正面は牛嶋神社である。
言問通り 隅田川に架かる言問橋 言問通り 隅田川に架かる言問橋 
言問通り 隅田川に架かる言問橋 言問通り 隅田川に架かる言問橋 

言問橋の途中で振り返ると正面に東京スカイツリーがきれいに見える。
言問通り 言問橋西交差点で江戸通りを渡る 言問通り 言問橋西交差点で江戸通りを渡る 
言問通り 馬道交差点で左折、馬道通りへ 言問通り 馬道交差点で左折、馬道通りへ 
馬道通り 二天門前交差点 馬道通り 二天門前交差点 

右折すると二天門から浅草神社、浅草寺本堂に出る。
馬道通り 旧町名由来 旧浅草馬道 馬道通り 旧町名由来 旧浅草馬道 

 「馬道」という町名は相当古くからあり、「御府内備考」によるとすでに江戸時代初期には南馬道町、北馬道町の名があった。ちょうど浅草寺境内から二天門を通り抜けた左手に南馬道町、その北隣りあたりが北馬道町である。享保十五年(一七三〇)には二天門の右手に南馬道新町ができるなどして浅草寺の東側一帯に浅草寺子院街として発展したが、明冶十年(一八七七)この付近が整理統合され浅草馬道町ができた。そして昭和九年(一九三四)さらに浅草馬道町は隣接する幾つかの町を合併して町域を広げるとともに、町名を浅草馬道に改めた。
 町名の由来は諸説あるが、むかし浅草寺に馬場があり、僧が馬術を練るためその馬場へ行くおりこの付近を通ったところ、その通路を馬道というようになったと言われている。
馬道通り 浅草二丁目交差点 馬道通り 浅草二丁目交差点 

右折すると伝法院通りである。
馬道通り 新仲通り入口交差点 馬道通り 新仲通り入口交差点 

左に松屋浅草があり、その地階に銀座線浅草駅がある。
銀座線 浅草駅 銀座線 浅草駅 



 
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