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日比谷公園(雲形池・鶴の噴水〜テニスコート〜桜門)

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日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 

鶴の噴水

 この噴水は、明治38年頃東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作したもので、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。(1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園)
 当初は、鶴と台座とも銅製でしたが戦時中の金属回収で台座が石造りとなったものの、水面に薄氷が張り鶴の像につららが下がる景色は、当公園の冬の風物詩となっています。
日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 

霞門前から雲形池に向かい、鶴の噴水を見つつ池沿いの遊歩道を左手に歩く。冬になるとつららが下がるシーンが繰り返し放映される鶴の噴水も勢いよく水を吹き出している。
日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 日比谷公園 雲形池、鶴の噴水 
日比谷公園 雲形池畔 京橋の欄干柱 日比谷公園 雲形池畔 京橋の欄干柱 

 この石柱は、明治8年築造された京橋の欄干柱で、大正11年架け替えの際にここに移されたものです。
 当時は、橋名を刻んだ親柱もありましたが、昭和9年京橋の橋台地が整傭されたときそちらへ移されました。
日比谷公園 雲形池畔 四阿 日比谷公園 雲形池畔 四阿 
日比谷公園 雲形池畔 四阿から見た鶴の噴水 日比谷公園 雲形池畔 四阿から見た鶴の噴水 
日比谷公園 雲形池畔 四阿から見た結婚式場 日比谷パレス 日比谷公園 雲形池畔 四阿から見た結婚式場 日比谷パレス 
日比谷公園 雲形池から草地広場へ 日比谷公園 雲形池から草地広場へ 

草地広場前の遊歩道に出て右折、東進する。
日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 
 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く レストラン 松本楼 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く レストラン 松本楼 

昭和46年11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し、中核派の投げた火炎瓶の直撃を受けて焼け落ちたレストランである。昭和46年9月25日に新装再オープンしたことを記念し、ハイカラビーフカレーが先着1500名に限り10円となり、売上や寄付金はユニセフ協会などに渡されている。
日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 
日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 
日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 日比谷公園 草地広場沿いの遊歩道を歩く 

ただのだだっ広い広場であるが、秋の菊花展では狭く感じる。
日比谷公園 テニスコート 日比谷公園 テニスコート 
日比谷公園 テニスコート脇 公園案内図 日比谷公園 テニスコート脇 公園案内図 
日比谷公園 テニスコート脇 公園案内図 日比谷公園 テニスコート脇 公園案内図 

沿革と特色

 この公園は明治36年(1903年)都巾計画により誕生した日本で最初の洋風近代式公園です。
 江戸時代この付近一帯は諸大名の邸地てしたが、明治に至リ練兵場として陸軍省が所管しました。
 明治22年(1889年)都市計画日比谷公圜の設置が告示され、これに伴い用地引継ぎを受けた東京市は本多静六博士(林学・1866〜1952)らによる公園の設計案を明治34年(1901年)採用し、造成に着手、明治36年6月1日に開園いたしました。
 その後、図書館、公会堂、音楽堂等が設置され都民のいこいの場所として親しまれるとともに広場(現在の第二花壇の位置)では数々の国家的行事が催されました。 太平洋戦争が始まると樹木が伐採されて園地は畑となり、かつ金属回収のため外柵等の撤去がおこなわれました。戦後園は連合軍に接収されましたが、解除後昭和26年(1951年)頃から復旧を開始し、昭和36年(1961年)9月には直径30m主柱12mの大噴水が完成し公園の新しいシンボルとなりました。 このほか四季の花を絶やさぬ洋風花壇や鶴の噴水のある雲形池など各種施設を備えている東京都の代表的公園です。
日比谷公園 テニスコート 日比谷公園 テニスコート 
日比谷公園 テニスコート沿いに北上 第一花壇 日比谷公園 テニスコート沿いに北上 第一花壇 
日比谷公園 テニスコート沿いに北上 桜門 日比谷公園 テニスコート沿いに北上 桜門 

当初予定では桜門手前の分岐点で左折し、自由の鐘や三笠山、健康広場を散策する予定だったが、7月の代々木上原の東京ジャーミーの礼拝堂見物以来2ヶ月近く歩いていなかったことと、暑さは和らいできたものの蒸し暑さが残るため右折して有楽門に向かうことにした。



 
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