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都営 三田線 内幸町駅
都営 三田線 内幸町駅〜国会通り〜日比谷公園(かもめの広場〜日比谷図書館〜日比谷公会堂・にれのき広場〜雲形池(鶴の噴水)〜霞門〜雲形池(鶴の噴水)〜松本楼〜大噴水〜草地広場〜自由の鐘・三笠山〜祝田門〜第二花壇〜心字池〜有楽門)〜東京メトロ 日比谷線 日比谷駅
【撮影記録】
平成24年 8月 3日 晴れ
11:00〜11:50 4,100歩(概算 3.1km 地図上の距離 2.4km)
日比谷公園には何度も訪れているが、特定の部分しか歩いておらず、全体像をまとめてみることにした。
それと各部分での特記事項とを組み合わせている。
実際に歩いてみると右に行ったり左に行ったりとか、同じような木々が続く道を歩くなど結構大変だった。 |
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日比谷通り 内幸町交差点
国会通りを渡り、日比谷通りを少し進んで幸門に向かう。 |
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日比谷通り 日比谷公園 幸門 日比谷公会堂 |
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日比谷公園 幸門 烏帽子石
幸門に入ってすぐ左にある。
この石は、江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子(昔、元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたた目、人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたものです。
明治時代、道路拡張にに伴い石塁が取りこわされた際、永く保存するためこの公園に移されました。 |
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日比谷公園 幸門 公園案内図
現在地は左下角の赤矢印で、日比谷公園の南隅である。その上の灰色のブロックが日比谷公会堂である。 |
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日比谷通り 内幸町交差点に戻り右折、国会通りへ |
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国会通り 市政会館
大正9年(1920)に東京市長に就任後、東京市政のための中正独立の調査機関設置を構想した後藤新平は、大正11年(1922)に東京市政調査会を設立して自ら会長となった。後藤は、安田財閥・安田善次郎んお寄付を受け、日比谷公園内に公会堂を付置した会館を建設し、会館は調査会が使用し、公会堂は東京市の管理に委ねることとした。これが、現在の市政会館と日比谷公会堂である。
建物は、著名な建築家8名による指名設計競技の結果一等に当選した佐藤功一の設計をもとに、本格的なホ−ルを備えたわが国最初の施設として、昭和4年(1929)に竣工した。全体が茶褐色のタイルで覆われたネオ・ゴシック様式で、建物中央に時計塔がそびえたつ。一部の窓に使われた黄色テラコックが、垂直性を強調したデザインにアクセントをつけている。 |
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国会通り 市政会館 |
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国会通り 市政会館 |
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国会通り 日比谷公園 中幸門 日比谷図書館 |
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国会通り 日比谷公園 中幸門 市政会館 |
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国会通り 日比谷図書館
40年以上昔、大学院生の頃に学外の図書館といえば、国会図書館と日比谷図書館が有名だった。図書の数、種類は圧倒的に国会図書館が勝っていた。 |
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国会通り 西幸門前交差点で右折、日比谷公園 かもめの広場へ
交差点角にかもめの広場がある。 |
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日比谷公園 かもめの広場 |
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日比谷公園 かもめの広場
鴎
うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、
時の流れを告げる古い貝殻。
1986
作者 淀井 敏夫 |
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日比谷公園 かもめの広場 |
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日比谷公園 かもめの広場 公園案内図
現在地は左上角で、日比谷公園の西隅である。 |
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日比谷公園 日比谷野外大音楽堂
「日比谷の野音」として知られ、音楽だけでなく、様々な集会にも使われている。 |
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日比谷公園 日比谷図書館 |
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日比谷公園 日比谷図書館 |
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日比谷公園 日比谷図書館 公園案内図
今までの地図と上下反転し、上の道路が日比谷通り、下が祝田通りで、右が国会通りである。左下角が西隅、右上角が南隅で、内幸町交差点である。
現在地は右下角のやや上である。右下角の扇形のブロックは日比谷野外大音楽堂である。 |