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東京駅 八重洲北口 グラントウキョウノースタワー
丸の内口と八重洲口とを結ぶ自由通路を歩き、大丸があるグラントウキョウノースタワーから外堀通りに出る。 |
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東京駅 八重洲北口 グラントウキョウノースタワー |
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東京駅 八重洲口 グランルーフ
今年(平成25年)の9月にグラントウキョウノースタワーからグラントウキョウサウスタワーとを結ぶ大屋根とペデストリアンデッキである。 |
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東京駅 八重洲口 グランルーフ |
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東京駅 八重洲中央口前交差点から八重洲通りを東進 |
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八重洲通りを東進
オフィス街が並ぶ丸の内側と違い、小規模な飲食店などが並び、ごちゃごちゃ感が漂う町並みである。 |
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八重洲通り 日本橋三丁目交差点で右折、中央通りへ |
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中央通りを南下
右の高層ビルの手前の縦線が入ったビルは京橋二丁目交差点の三栄ビルである。 |
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中央通り 京橋二丁目交差点
京橋二丁目交差点を渡って右角にあるビルは再開発されたビルで、その左の青の外壁に囲まれたビルは中央区の文化財に指定されている明治屋ビルである。 |
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中央通り 京橋交差点 東京スクエアガーデン
鍛冶橋通りと交差する京橋交差点を渡って右角に東京スクエアガーデンがある。 |
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中央通り 東京高速道路 銀座京橋横断橋下を通る
東京高速道路は汐留JCTと京橋JCTとを結び、銀座を取り囲む2kmの無料の一般道である。 |
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中央通り 銀座通り口交差点 京橋の親柱
京橋は、慶長八年(一六〇三)の創建とされる日本橋とほぼ同時期に初めて架けられたと伝えられる歴史のある橋です。昭和三十八年から四十年にかけての京橋川の埋立工事に伴って撤去されましたが、その名残を留めるものとして、石造の親柱二基と、石およびコンクリート造の親柱一基が残されています。 このうち、。二基の石造親柱は、明冶八年(一八七五)に石造アーチ橋に架け替えられた時のものです。江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による「京橋」と「きやうはし」の橋名か彫られています。
また、石およびコンクリート造の親柱は、大正十一年(一九二二)の拡張工事でアール・デコ風の橋に架け替えられた時のものです。照明設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」と「きようはし」の橋名と、「大正十一年十一月成」の銅板プレートが付けられています。 明治・大正とニつの時代に設置された親柱は、近代橘梁のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。 |
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中央通り 銀座通り口交差点 京橋の親柱
交差点の右には旧京橋の親柱(交差点左、南詰に展示)を模した交番がある。 |
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中央通り 銀座通り口交差点 煉瓦銀座之碑
明治五年二月二十六日(皇紀二五三二年、西暦一八七二年)銀座は全焼し、延焼築地方面に及び消失戸数千戸と称せられる。 東京府知事由利公正は罹災せる銀座全地域の不燃性建築を企画建築し、政府は国費を以って煉瓦造二階建アーケード式洋風建築を完成す。 煉瓦通りと通称せられ銀座通り商店街形成の濫觴となりたり。 |
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中央通り 銀座一丁目交差点
銀座◯丁目交差点とは、交差点から手前(北側)が◯丁目ということである。したがって、交差点を過ぎると◯+1丁目と成り、この写真の場合は交差点を過ぎると二丁目となる。 |
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中央通り 有名ブランド品店が並ぶ銀座二丁目 |
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中央通り 銀座二丁目交差点 |
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中央通り 銀座三丁目交差点 |
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中央通り 銀座四丁目交差点で晴海通りを渡る |
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中央通り 銀座四丁目交差点 門松が飾られている銀座コア |
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中央通り 銀座五丁目交差点 |
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中央通り 銀座六丁目交差点 |
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中央通り 銀座六丁目交差点 正月の松飾り露店
交差点角のライオンビヤホールの外壁を利用している。 |
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中央通り 銀座七丁目交差点 |
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中央通り 銀座八丁目交差点 博品館
おもちゃ屋の博品館は、かつては中国からの団体客で賑わっており、周囲には何台もの観光バスが並び、中国語がうるさかった。昨今の日中関係を反映して今は閑散としている。 |
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中央通り 銀座八丁目交差点
高架は東京高速道路の銀座新橋横断橋である。 |
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中央通り 新橋交差点で右折、外堀通りへ |
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JR 新橋駅 銀座口 |
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JR 新橋駅 SL広場
日テレの人気番組であるミヤネ屋で、司会の宮根がSLの雪の飾りを本物と勘違いし、東京ではまだ降っていないという天気予報士にこの雪は何だ、と手厳しく突っ込んでいた。 |
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JR 新橋駅 日比谷口
酔っ払ったサラリーマンにインタビューすることで有名なスポットである。 |