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城山公園前交差点で右折、東海道(国道1号)へ |
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東海道(国道1号) 大磯城山公園 旧吉田茂邸 正門へ |
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東海道(国道1号) 大磯城山公園 旧吉田茂邸 正門 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 バラ園前 公園案内図 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 バラ園
バラ園
吉田茂は、バラの愛好家で、昭和三十六年頃、現在の駐車場の敷地にバラ園が造られました。
「プリンセスミチコ」と呼ばれる品種をはじめ、多くの種類のバラが植えられていましたが、昭和五十四年、当時の大平首相とカーター大統領の日米会談がこの地で行われた際に当時のバラ園は駐車場になり、面積は縮小されました。
公園整備にあたり、当時のバラ園の一角であるこの地に、吉田茂の好んだ大輪のバラの品種を再び植栽し、当時の雰囲気を演出しています。 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 バラ園
寒い初冬なのにバラは健気にも咲いている。バラ園と言うには狭いのが残念である。 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 バラ園 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 兜門前 公園案内図 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 兜門
内門(兜門)
軒先に曲線状の切り欠きがあリ、兜の形に似ていることから「兜門」と呼ばれます。
また、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられたことから、別名「講和条約門」とも言われています。
屋根には、「檜皮葺き」というヒノキの立ち木から剰いだ表皮を成型した檜皮を用い、少しずつずらしながら重ね、竹釘で固定していく伝統的技法が用いられています。
平成二十三年度に屋根の葺き替えなどの修復工事を行った際には棟札が発見され、昭和二十九年に建てられたこと、昭和五十七年に修復が行われていたことが判明しました。 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 兜門 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 旧吉田茂邸の再建
旧吉田茂邸は、吉田茂の養父、吉田健三氏が、明治十七年に別荘として建築したもので、その後、増改築を重ね、吉田茂が昭和十九年頃から、その生涯を閉じる昭和四十二年、八十九歳までを過ごした邸宅でした。
豪壮で近代的な数寄屋檜作りの本邸は、建築家吉田五十八氏の設計のもと、京都の宮大工により建築されました。
政界引退後も多くの政治家が「大磯詣」を行い、また、国内外の要人が招かれるなど、近代政治の舞台ともなりました。
平成二十一年三月、旧吉田茂邸は焼失してしまいましたが、大磯町が再建し、平成二十九年四月より、一般公開されました。 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 旧吉田茂邸の再建 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園 |
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大磯城山公園 旧吉田茂邸 日本庭園
日本庭園
この日本庭園は、池を中心にその周囲を散策して自然の移り変わりを愛でるもので「池泉回遊式」と呼ばれています。
設計者である造園家中島健氏は、数寄屋建築の本邸との調和や花を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、様々な草花やツツジ類、ウメなどを多く取り入れ、色彩豊かな庭造りを行い、昭和三十六年頃に庭園が完成しました。
年月を経て、肥大化した樹木の切戻しを主とする剪定や、衰えてしまった松林を庭園の背景に戻すための育成を行い、吉田茂が晩年散策していた当時の雰囲気を感じ取ることができるよう、昭和四十年代の景観を復原し、その姿を維持するよう管理しています。 |