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清澄通り 門前仲町の火の見櫓
門前仲町交差点から少し行った黒船橋の北詰にある。 |
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清澄通り 門前仲町の火の見櫓
江戸時代、江戸の市中には火災の早期発見のため多くの火の見櫓が立っていました。高さ三丈(約九m)ほどの櫓の上部には半鐘が取り付けられいち早く火災の発生を知らせてくれました。
深川の南部にも佐賀町下の橋(佐賀二)富吉町(永代一)門前仲町などに火の見櫓が立てられていました。
なかでも門前仲町の櫓じゃ今の門前仲町の交差点付近、かつての富岡八幡宮一の鳥居近くにありました。周辺は永代寺・富岡八幡宮・三十三間堂といった江戸名所が集り現在同様おおいににぎわっていた場所です。
この櫓は深川一の繁華街を守ると云う大きな役割をはたしていました。「災害のない街」を願う気持らは今も昔も変わりません。 |
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清澄通り 大横川に架かる黒船橋 |
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清澄通りを南下 |
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清澄通り 越中島二丁目陸橋
左折すると越中島通りで、JR京葉線の越中島駅を経て、豊洲に向かう。 |
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清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学)
越中島二丁目陸橋を渡ると、東京海洋大学(旧 東京商船大学)である。 |
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清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 正門
東京海洋大学(旧 東京商船大学)は、越中島の東京商船大学と、天王洲の東京水産大学とが統合、平成15年に発足した。 |
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清澄通り 東京海洋大学前から見えるリバーシティ21 |
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清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 明治丸
重要文化財の明治丸は改修中で、帆船らしさが見られない。
明治丸は明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻船として発注し、明治7年(1874)に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で翌8年横浜に回航された。明治天皇はじめ多くの高官が度々乗船し、わが国近代海運史の重要な場面で活躍した。なかでも明治9年、明治天皇は東北・北海道御巡幸の帰途青森から函館経由横浜まで乗船され7月20曰に帰着された。この曰を記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され平成8年(1996)に国民の祝日「海の日」となった。
昭和53年(1978)わが国に現存する唯一の鉄船であり短かった鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として国の重要文化財に指定された。 |
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清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 明治丸
普段は立ち入ることも出来ず、警備員がいる正門からぐるっと大回りしなければならない。 |
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清澄通り 相生橋北詰から見える豊洲
右に特徴ある春海橋脇の日本ユニシス本社、横には屋根が付いた豊洲IHIビル、左に高層マンション群が見える。高層マンション群の後ろに芝浦工大 豊洲キャンパスがある。 |
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清澄通り 晴海運河に架かる相生橋 |
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清澄通り 相生橋南詰交差点で右折、都道463号(上野月島線)へ |
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清澄通り 相生橋南詰交差点
清澄通りは緩やかな下り坂になり、下った所に大江戸線月島駅がある。 |
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都道463号(上野月島線) リバーシティ21を北上
都道463号は中央大橋支線である。 |
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都道463号(上野月島線) リバーシティ21を北上
現在地は赤印で、上下に清澄通りが走り、左上角の中央大橋に向かう。 |
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都道463号(上野月島線) リバーシティ21を北上 |
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リバーシティ21 中央大橋南詰で左折、隅田川テラスへ |