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富岡八幡宮 東参道 |
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富岡八幡宮 東参道 結婚式場前広場 木場の角乗りの碑
右に由来が書かれた碑があるが、東参道から上るには段差があり、一旦左の結婚式場前から碑に行くことにした。 |
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富岡八幡宮 東参道 結婚式場前広場 |
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富岡八幡宮 東参道 結婚式場前広場 木場の角乗りの碑
原文には句読点がないが、読みにくいので適宜加えた。
角乗りの由来
木場の角乗りは、三百余年の昔徳川幕府から材木渡世の免許を与えられた業者の材木を扱う川並の祖先の余技として進展し、若者の技術練磨の目的を以て今日に伝わるものである。
其の間、明治初年三島警視総監時代、水防出初式に初めて浜町河岸で披露、又グランド将軍が来朝の際、上野不忍池にて催し、後横須賀に於て軍艦進水式の折り、明治天皇の天覧の栄を賜る。其の後、浜離宮や両国橋開通式の祝事に披露されてきた。
第二次世界大戦により中断したが、戦後有志相倚り、東京木場角乗保存会を設立し、昭和二十七年九月東京営林署貯木場に於て披露し、同年十一月三日東京都文化保存条令に基き、都技藝木場の角乗りとして無形文化財に指定された。 |
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富岡八幡宮 東参道 結婚式場前広場 木場の木遣りの由来
「木場の木遣り」の発祥は古く、現存の文献によれば、既に慶長初期の昔に行われている。
碑には木遣りが書かれている。 |
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富岡八幡宮 東参道 結婚式場前広場 木場の木遣りの由来
「木場の木遣り」の発祥は古く、文献によれば、既に慶長初期の昔に行れている。当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げをした、とある。元来、神社の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場の木遣り特有の「納め木遣り」が用いられ、保存会により今日に伝えられている。 元禄の始めには、武家屋敷の並ぶ両国の七つ谷倉の間部河岸という所で三代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りをご覧に入れ、以後年中行事となった。この時、川並みという言葉が発祥したと伝えられる。 明治十二年、米国のグラント前大統領が来日の際に、木遣りは角乗りと共に上野の不忍池で天覧の栄に浴している。
江戸の昔より正月二日から七日に掛け木遣りにて初曳きし、材木屋さんに売り捌くのを年中行事としていた。 |
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富岡八幡宮 東参道 本殿下の階段で右折、本殿へ |
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富岡八幡宮 東参道 本殿下の階段から見た大鳥居 |
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富岡八幡宮 本殿
数日後に迫った正月の参拝客の受け入れ準備が進められている。 |
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富岡八幡宮 末社横の出入り口鳥居
鳥居を出て深川不動尊に向かう。 |
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富岡八幡宮 末社 |
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深川不動尊 旧本堂 |
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深川不動尊 旧本堂、新本堂
右が平成23年までの本堂、その後ろが内仏殿、左が現在の本堂である。本堂の外壁は梵字で覆われている。 |
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深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」 |
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深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」 永代寺 |
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深川不動尊 表参道 「人情深川御利益通り」 永代寺
永代寺 略縁起
永代寺は、寛永四年(一六二七)に富岡八幡宮別当寺として長盛上人(京都の人、俗姓菅原家、寛永十三年九月二十日寂)によって永代島に創建される。当時の永代島は(現在の永代橋東側一帯)隅田川河口の砂州で、長盛上人がこれを開荒し、寺社地六万五百八坪を所有し、一宇を建立する。現在の深川公園辺りは、曽ての永代寺庭園の一部であった所で、平常は非公開であったが、毎年三月二十一日から二十八日迄は弘法大師の御影供が行われ、その期間に限って「山開き」と称し林泉を開き、江戸庶民に見物を許し大層な賑わいであった様子が江戸名所図会に描かれている。又将軍家違例の時や、世子誕生の折には祈祷札を徴せられ、承応三年(一六五四)からは年頭独礼の許可、元禄十二年(一六九九)には乗輿御免、或は京都仁和寺修復のための富突の許可が享保十八年(一七三三)に出たこと等、永代寺に対する幕府の信任を示すものである。以上永代寺は、富岡八幡宮と共に大衆に広く知られ、多くの参詣人を集める、江戸を代表する門前町の中心であったが、明治初年(一八六八)に発令された神仏分離を契機として行われた廃仏毀釈により廃寺となるも、関東五ケ寺随一に数えられた名利を廃絶するに忍びず、同二十九年三月、塔頭(永代寺に付属する寺院をいう。十一院在り)の一つ、吉祥院(元禄五年ー六九ニそそ創建開基基宥範を永代寺と改称し、由緒ある法灯を永く継承する。 |
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深川不動尊 表参道 赤門
赤門を出ると永代通りである。 |
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東京メトロ 東西線 門前仲町駅
表参道を歩き、赤門を出て左折すると門前仲町駅である。 |