|
新目白通り 右折して早大入口仲通りへ
都電荒川線の早稲田駅の前にある早大入口仲通りに入ろうとしたら学生が大勢並んでいる店があった。武蔵野アブラ学会という油そばの店である。 |
|
早大入口仲通り 突き当たりの金城庵前でワセダグランド坂通りを渡り、大隈通りへ
金城庵は歴史ある蕎麦屋である。 |
|
大隈通りを南下 |
|
大隈通りを南下
大隈通り
早稲田大学の創立者、大隈重信に対する記念事業として建設された大隈記念講堂に通ずる通り。 |
|
大隈通りを南下
いかにも学生街という雰囲気だが、約半世紀前の在学中と異なり垢抜け、定食屋も小奇麗で、雀荘も探すのに苦労する。 |
|
大隈通りを南下 |
|
大隈通りを南下 マスコット角帽、ペナント
大学院修了記念に左右に理工学部と、工学研究科(大学院)のバッチを付けた角帽を買い、後日生まれて間もない長男に被らせた写真を思い出す。
角帽も約半世紀前に入学した時は買ったが被ることは滅多になかった。独特の形で座布団と呼ばれていた。 |
|
大隈通り出口 早稲田大学のシンボル 大隈講堂 |
|
早稲田大学のシンボル 大隈講堂 |
|
早稲田大学のシンボル 大隈講堂
早実の入学式が行われていた。看板には早稲田大学「系属」と表記されている。昨今早稲田大学の付属であるかのごとく振舞っている早実だが、附属校と系属校とは違う。
附属校は早稲田大学と経営主体は同一で、卒業生は原則早稲田大学に進学でき、早稲田大学高等学院と称する。系属校は早実や早稲田高校で、別法人であり、大学への進学も制限がある。 |
|
早稲田大学 大隈講堂絡みたメイン道路
広い道路の入口には低い門があるが、普段は左右に格納されて見えず、守衛所もない。早稲田は世界に開かれている、との趣旨で、半世紀前の在学中には割烹着を着た近所の主婦が買い物の近道として構内を歩いていた。 |
|
早稲田大学 大隈庭園、大隈会館 |
|
早稲田大学 大隈庭園 |
|
早稲田大学 大隈庭園
由来
この庭園は、井伊掃部頭・松平讃岐守の下屋敷にあった和様四条家屋の名園を本学創始者 大隈重信が文人風に改造したものです。没後,邸宅とともに大学に寄贈されました。
1945年(昭和20年)5月の空襲で庭園は廃虚と化しましたが、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観どおりに復元され、今日に至っております。 |
|
早稲田大学 大隈庭園
広い芝生広場では学生たちが談笑している。在学中は少し離れた理工学部におり、授業や実験に追われて庭園が開園している昼間には入ることができなかった。 |
|
早稲田大学 早大南門通り 新入生勧誘看板が並ぶ |
|
早稲田大学 早大南門通り 新入生勧誘看板が並ぶ |
|
早大南門通りを南下 |
|
早大南門通り 馬場下町交差点で左折、早稲田通りへ |
|
早稲田通り 早稲田中・高校 |
|
東京メトロ 東西線 早稲田駅 |