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野毛山公園(散策地区) 芝生広場の端に向かって北上
6年前(平成23年)に来た時は、佐久間象山碑を見た後もと来た道を戻り、動物園入口に向かった。今回は反対側にフェンスが見えたので興味を惹かれ向かった。 |
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野毛山公園(散策地区) 芝生広場の端に向かって北上 |
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野毛山公園(散策地区) フェンス沿いに坂を下る |
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野毛山公園(散策地区) フェンス沿いに坂を下る
フェンスは老松中学校の運動場を囲っているものである。 |
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野毛山公園(散策地区) フェンス沿いに坂を下る |
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野毛山公園(散策地区) 坂を下り切った所で左折 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 動物園のフェンス沿いに南下 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 野毛山公園交番交差点で右折
この交差点は野毛山公園の3地区(散策地区、動物園、展望地区)が扇風機の羽のようになった要の部分である。左折すると野毛山公園(散策地区)沿いの下り坂で、2車線道路である。 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 野毛山公園交番交差点 野毛山動物園前バス停
バス停前の広場の反対側に降車口があり、このバス停は乗車口である。右手に動物園の入口がある。 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 動物園入口
大都会の動物園で入場無料は貴重で、乳幼児を連れた親子連れが次々に訪れている。 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 野毛の吊橋
野毛の吊橋は野毛山動物園と、展望地区とを結ぶ橋である。展望地区に行くため、バス停の降車口に向かう。 |
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野毛山公園(展望地区) 入口の公園案内図 |
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野毛山公園(展望地区) 入口から坂を上る
展望地区に2基ある旧配水池の小山沿いに上っていく。 |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池 |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池 |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池から芝生広場へ |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 地下配水池 芝生広場へ
手前から小芝生広場、大芝生広場、遊具広場となっているが、見栄えのしない風景である。 |
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野毛山公園(展望地区) ヘンリー・スペンサー・パーマー像 |
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野毛山公園(展望地区) ヘンリー・スペンサー・パーマー像
近代水道発祥の地(野毛山貯水場跡)
明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。
当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。
いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。
横浜の水道は、英国人H・S・パーマーの設計・監督によるものであるが、沖守固県知事をはじめ三橋信方(後に市長となる)、三田善太郎など多くの日本人の努力も忘れることはできない。
パーマーは、横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。
さらに、横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残したほか、天文台の建言やロンドンタイムスへの寄稿など広い分野で活躍し、明治26年(1893年)54歳で没し東京青山墓地に眠る。
横浜水道建設100周年を迎えるにあたり、パーマー像をこの地に建て、先人の業績を讃え、明日への発展を願いたいと思う。 |
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野毛山公園(展望地区) 日米国際親善・友好の象徴 桜とハナミズキ |
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野毛山公園(展望地区) 日米国際親善・友好の象徴 桜とハナミズキ
アメリカの首都ワシントンの春を毎年爛漫と彩るポトマック河畔の桜は、明治末期に日本から贈られたもので、この桜誕生には多くの人々の尽力と3年に亘る年月を要しました。
来日中に日本の桜に深い感銘を受け、母国にも是非桜並木をと願い、当時のタフト大統領夫人に提案したE・R・シドモア女史、この企画を物心両面で支えた高峰譲吉博士をはじめ、外交官や桜育成等、多くの関係者の努力で3000本の桜苗寄贈が実現し、1912年3月27日に植樹式が行われました。その後アメリカからの返礼としてハナミズキが来日し、今ではこの二つの花は両国をつなぐ友好の架け橋として語り継がれています。この度、桜寄贈100周年を記念し、ワシントンから里帰りした桜の苗木と共にハナミズキがここに植樹されました。 |