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野毛山公園(展望地区) 野毛山 地下配水池 芝生広場 |
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野毛山公園(展望地区) 3ON3 バスケットコート |
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野毛山公園(展望地区) 展望台からの風景 |
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野毛山公園(展望地区) オリンピック競技会場地記念碑
昭和39年(1964)東京オリンピックが開催。横浜市では、サッカ−、バレ−ボ−ル、バスケットボ−ル(予選)の3種目が三ツ沢競技場で行われた。野毛山公園展望台の近くにあるオリンピック記念碑は、そのことを記念して昭和41年(1966)10月に設置されたもので、彫刻家・堀野秀雄氏が製作した3種目のレリーフがはめこまれている。
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野毛山公園(展望地区) 展望台 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は12:25で、温度22.1℃、湿度28%、熱中症計はほぼ安全である
前回はみなとみらいの動く歩道下で時刻は10:45、温度27.4℃、湿度は31%、熱中症計は注意であった。理由は分からないが温度が大きく下がり、歩き始めて早々の紅葉坂でブルゾンを脱いだが。ちょうど良い天候である。 |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池沿いに歩く |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池沿いに歩く |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池沿いに歩く |
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野毛山公園(展望地区) 野毛山 旧配水池沿いに歩く |
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野毛山公園(野毛山動物園) 野毛山公園交番交差点 野毛山動物園前バス停
手前がバス停の降車口、野毛の吊橋を挟んで右手に乗車口がある。 |
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野毛山公園(野毛山動物園) 野毛山公園交番交差点で右折
写真奥がバスなどが走る車道で、野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下っていく。 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る 横浜市 野毛山荘
横浜市野毛山荘は、老人福祉センターである。 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る 池のある小公園 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る 池のある小公園
池の上に崖があり、右手奥に佐久間象山顕彰碑がある芝生広場がある。 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る 池のある小公園
野毛山公園発祥の由来
野毛山公園は野毛の浦(芒の浦とも書く)一帯を含む戸部村に属し、地勢は複雑で変化に富んだ丘陵地を占め、その周囲は約一,七〇〇米、面積九三,〇〇〇平方米であった。
藩政時代は神奈川奉行領地で、その後、本市の巨商茂木惣兵衛(野沢屋)、原富太郎(亀善)氏が竸って別荘を構えたところであるが、関東大震災のため壊滅をしたので、隣接の市水道浄水池市公舎、病院跡などを併合し国費をもって施工した公園である。
大正十四年六月二十二日起工、大正十五年九月十八日開園したもので回遊式日本庭園、優美な沈床花壇をもつ洋風庭園、展望台のある折衷庭園と三区三様の特徴ある都市公園であった。戦後は二十二年まで接収され、二十三年から旧日本庭園の部分に動物園施設を、旧洋式庭園に児童遊園が造営され、この二地区を併せて野毛山遊園地として広く県内の幼少児童のメッカとして親しまれていた。
なお公園内には第四回国体夏季大会会場として、天皇、皇后両陛下の御臨席をいただいた市営野毛山プールがある。 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る 池のある小公園
現在地は右に突き出した散策地区のほぼ真ん中の池のある小公園である。案内図ではそのすぐ左に佐久間象山顕彰碑がある芝生広場があるように見えるが、実際にはかなり急な崖の上にある。 |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂を下る |
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野毛山公園(散策地区)沿いの坂 横浜市 中央図書館角で右折
歩道手前は野毛山公園の入口である。 |
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野毛山公園道 野毛坂交差点で右折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ |