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万歩計



(From H14-10-28)

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門前仲町〜清澄庭園〜清洲橋

【関連サイト】   都営大江戸線H2102(森下〜清澄庭園〜門前仲町)
東京の名園 清澄庭園・清澄公園


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清澄通り 首都高9号深川線高架下を北上 清澄通り 首都高9号深川線高架下を北上 

高架を過ぎた所の深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る。
清澄通り 深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る 清澄通り 深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る 
清澄通り 小津安二郎誕生の地 清澄通り 小津安二郎誕生の地 

深川一丁目陸橋の裏にある。
清澄通り 小津安二郎誕生の地 清澄通り 小津安二郎誕生の地 

 江東区の生んだ世界的映画監督小津安二郎は、明治三十六(一九〇三)年十二月十二日、この地に生をうけました。昭和二(一九二七)年監督に昇進、処女作時代劇「懺悔の刃」を監督しました。
昭和三十七(一九六二)年「秋刀魚の味」を発表、映画人としては、初の芸術院会員となりました。この作品が小津安二郎の遺作となり、翌昭和三十八(一九六三)年六〇歳で死去しました
清澄通り 海辺橋南詰 採荼庵跡、松尾芭蕉像 清澄通り 海辺橋南詰 採荼庵跡、松尾芭蕉像 

松尾芭蕉は、採荼庵(さいとあん)を出て奥の細道の旅行に出た。

海辺橋を渡り、北詰には清澄庭園があり、清澄通りの反対側には深川老人福祉センターがあり、その前に滝沢馬琴誕生の地の碑がある。
清澄通り 清澄庭園 清澄通り 清澄庭園 

清澄庭園の入口は清澄通り沿いにはなく、清澄庭園・中村学園通りの奥にある。
ちなみに写真の案内標識は以前はなく、通りがこのような名称とは知らなかった。中村学園は清澄庭園前にある小規模な学校で、ELTボーカルの持田香織は卒業生である。
清澄通り 清澄三丁目交差点で左折、清洲橋通りへ 清澄通り 清澄三丁目交差点で左折、清洲橋通りへ 
清洲橋通り 錣山部屋 清洲橋通り 錣山部屋 

清洲橋通りの北側には相撲部屋が幾つかあり、翌日からの初場所のせいか、後援会らしき団体客が出てきた。
場所がある時の両国界隈もそうだが、鬢付け油の香りが漂う。
清洲橋通り 清澄町二丁目陸橋脇で右折、横綱通りへ 清洲橋通り 清澄町二丁目陸橋脇で右折、横綱通りへ 
清洲橋通り 清澄町二丁目陸橋脇で右折、横綱通りへ 清洲橋通り 清澄町二丁目陸橋脇で右折、横綱通りへ 

横綱通りに入り最初の路地を右折すると大鵬道場・大嶽部屋、左折すると北の湖部屋がある。
横綱通り 大鵬道場・大嶽部屋 横綱通り 大鵬道場・大嶽部屋 

清洲橋通りから入り、横綱通りの最初の角の右側にある。裏から見ると白いビルにしか見えない。
横綱通り 北の湖部屋 横綱通り 北の湖部屋 

大鵬道場・大嶽部屋の反対側にあり、2階から干されている黒いけいこまわしがなければ普通のマンションにしか見えない。入口には北の湖部屋の門札がある。
清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 
清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 
清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 清洲橋通り 清洲橋東詰交差点で左折、佐賀町河岸通りへ 

 清洲橋は、関東大震災後の復興計画に基づき、昭和3年(1928)に架けられました。長さ186.22m、幅22mのつり橋。深川区清住町と日本橋区中洲町を結んだところから名づけられました。
 ドイツケルン市のライン河に架かるつり橋をモデルとした優美な曲線をもつこの橋は、大正期に活躍した版画家、川瀬巴水の作品にも多く描かれています。
佐賀町河岸通り 平賀源内電気実験の地碑 佐賀町河岸通り 平賀源内電気実験の地碑 

清洲橋東詰交差点から隅田川沿いに少し下流に歩いた読売新聞の建物脇にある。

平賀源内は享保13年に高松藩士の子として生まれた。様々な実験や、物産開発などに努めた。
清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 
清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 

下流には水天宮通りからTCATを経て隅田川を渡る隅田川大橋が見え、両岸には隅田川テラスと言う遊歩道が整備されている。
清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 清洲橋通り 隅田川に架かる清洲橋を渡る 

日本国重要文化財 清洲橋

 清洲橋は、関東大震災復興事業によって建造され昭和三年(一九二八年)三月に竣功した。
 清洲橋の特筆すべき点として、上部構造は日本国内では珍しい橋端部に水平力の及ばない自碇式連続補剛吊橋で塔柱から吊るされた吊鎖を橋端部において主桁と連結し、主桁は左右の橋台に碇着し全支間にわたって等間隔に配された吊材で吊鎖と主桁を繋ぐ構造である。放物線状の優美な外観の吊鎖は、高張力マンガン鋼のデュコール鋼を吊鎖に用いるなど、洗練された造形によって、力学的合理性に基づく近代的橋梁美を実現した橋梁である。
 下部構造は鉄筋コンクリート造で固定式空気潜函工法を用いた橋脚と、締切工法による橋台二基からなる。
 建造工事は、内務省復興局が施工し、後に東京市に引き継がれた。設計者は、内務省復興局土木部長大田園三及び同技師田中豊の指導のもと、同技師鈴木清一らである。



 
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