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万歩計



(From H14-10-28)

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浜町明治座〜馬喰横山繊維問屋街〜浅草橋

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清洲橋通り 中央区コミュニティバス 江戸バス北循環 浜町駅(明治座前)バス停 清洲橋通り 中央区コミュニティバス 江戸バス北循環 浜町駅(明治座前)バス停 

江戸バスは1ヶ月前の平成21年12月1日から始められたコミュニティバスで、築地や晴海、勝鬨橋を回る南循環もある。
清洲橋通り 東日本橋交差点で左折 清洲橋通り 東日本橋交差点で左折 

右に進むと清杉通りで、浅草橋交差点で東西を進む靖国通り、南西から北東に向かう江戸通りに南北から交差する。
清洲橋通り 馬喰横山繊維問屋街 清洲橋通り 馬喰横山繊維問屋街 

清洲橋通りの左右には繊維問屋街の小道が続く。
清洲橋通り 馬喰横山繊維問屋街 清洲橋通り 馬喰横山繊維問屋街 
清洲橋通り 馬喰町交差点で右折、江戸通りへ 清洲橋通り 馬喰町交差点で右折、江戸通りへ 
江戸通り 馬喰横山繊維問屋街 江戸通り 馬喰横山繊維問屋街 
江戸通り 浅草橋交差点で靖国通りを渡る 江戸通り 浅草橋交差点で靖国通りを渡る 

浅草橋交差点で東西を進む靖国通り、南北から清杉通り、南西から北東に向かう江戸通りの3本が交差する。
江戸通り 浅草橋交差点で靖国通りを渡る 江戸通り 浅草橋交差点で靖国通りを渡る 
江戸通り 浅草橋南詰 郡代屋敷跡 江戸通り 浅草橋南詰 郡代屋敷跡 

 江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった場所です。
 関東郡代は、天正十八年(一五九〇)徳川家康から代官頭に任命された伊奈忠次の二男忠治が、寛永十九年(一六四二)に関東諸代官の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。元禄年間(一六八八〜一七〇四)には関東郡代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。
 その邸宅は、初め江戸城の常盤橋門内にありましたが、明暦の大火(一六五七)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷と称されました。
 寛政四年(一七九二)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねることとなり、この地に居住しました。文化三年(一八〇六)に関東郡代制が廃止され、さらに屋敷が焼失した後には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。
江戸通り 神田川に架かる浅草橋 江戸通り 神田川に架かる浅草橋 
江戸通り 神田川に架かる浅草橋 江戸通り 神田川に架かる浅草橋 

屋形船が係留されている。
江戸通り 浅草橋 人形商店街 江戸通り 浅草橋 人形商店街 

総武線の手前に吉徳があり、向かいの道の反対側に秀月(写真奥の紫の看板)がある。
江戸通り 浅草橋 人形商店街 江戸通り 浅草橋 人形商店街 

吉徳は早くも雛人形が飾られている。
江戸通り 浅草橋 人形商店街 江戸通り 浅草橋 人形商店街 

今流行の歴女のせいか、戦国武将の鎧の胸の部分(栴檀板)をかたどったストラップである。
上杉謙信、真田幸村、直江兼続などの武将が用意されている。
江戸通り JR総武線・都営浅草線 浅草橋駅 江戸通り JR総武線・都営浅草線 浅草橋駅 
江戸通り 浅草橋 人形商店街 江戸通り 浅草橋 人形商店街 

「まるぎん」では、夫婦雛が飾られている。



 
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