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(From H14-10-28)

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白山下交差点〜八百屋お七の墓〜白山神社

【関連サイト】   文京区 B−グルバス(H21−08−09)
御茶ノ水・水道橋 歴史を歩く探訪ツアー(H18-02-11)
下町散策 白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18-07-08)


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都営三田線 白山駅 都営三田線 白山駅 

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【撮影記録】
平成22年 1月 6日 晴れ
10:40〜12:55 11,200歩(概算 9.0km)

白山神社、根津神社と、初詣で賑わうと言う感じもない場所を行くこともあり、八百屋お七の墓や、谷中銀座を組み合わせて湯島天神に向かった。それほど寒くもなく、穏やかな歩きやすい一日だった。
旧白山通り 白山下交差点 旧白山通り 白山下交差点 

白山駅の一番南側の改札口(A1)から出て、左の寿司屋とマンションの間の小道を進む。
八百屋お七の墓(円乗寺) 八百屋お七の墓(円乗寺) 

白山下交差点から東のマンション脇の小道に入ってすぐの所にある。円乗寺と言う小さな寺の境内とも言えないような場所にある。
八百屋お七は鈴ヶ森刑場で火刑になったが相手の吉三は出家して明王院で菩提を弔ったと言う。
八百屋お七の墓(円乗寺) 八百屋お七の墓(円乗寺) 

お七については、井原西鶴の「好色五人女」など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。
お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年(1682)12月、近くの寺院から出火)で、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和13年3月29日火あぶりの刑に処せられた。数えで16歳であったという。三基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年間(1789〜1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。
八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 

道沿いで円乗寺の境内入口に設けられている。
八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 

 このあたりは昭和三十九年八月一日施行の新住居表示によって白山の一部となるまでは「指ヶ谷町」と呼ばれていた。
 その町名の由来について丙戌書上(鳳闇寺支配正宝院)は「町名指谷と相唱候儀、小石川村東の方凡五町程の場所字指谷と古来より申候間、右唱より町名に相成候儀と奉存候」云々と述べている。しかし、「指ヶ谷」の名の起りについては不明である。
 なお、旧指ヶ谷町の東北端に位置したこの南縁山円乗寺は元和六年(一六二〇)宝仙法印によりて開山された天台宗の寺院である。境内には芝居などで有名になった八百屋お七の墓があ
る。寺小姓の左兵衛という美少年と恋におちいったお七は、吉三郎なる無頼の徒にそそのかされて我家に放火した。放火は未遂に終ったが、すぐ吉三郎と共にとらえられ、天和三年(一六
八三)三月二十九日火刑に処せられた。生年十■であったと伝えられている。
生年の部分は■で塗りつぶされている。
八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 八百屋於七地蔵尊(円乗寺) 
八百屋お七の墓(円乗寺) 八百屋お七の墓(円乗寺) 

民家に挟まれた狭い参道を進む。
八百屋お七の墓(円乗寺) 八百屋お七の墓(円乗寺) 
八百屋お七の墓(円乗寺) 八百屋お七の墓(円乗寺) 

三基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年間(1789〜1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。
字が読めるのは左だけで、後は摩滅して読めない。
白山下交差点で右折、旧白山通りへ 白山下交差点で右折、旧白山通りへ 
都営三田線 白山駅 都営三田線 白山駅 

出発点の改札口で、ここから旧白山通りの薬師坂を上って行く。
旧白山通り 薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂) 旧白山通り 薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂) 

 「妙清寺に薬師堂有之侯に付、里俗に薬師坂と相唱候」(「御府内備考」)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。     「新撰窺京名所図会」には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末年の姿を記している。 
 このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存、するものに無縁坂の講安寺本堂がある。
旧白山通り 文京区 Bーグルバス #12 白山駅 旧白山通り 文京区 Bーグルバス #12 白山駅 

この区間は文京区のコミュニティバスであるBーぐるが走る。左に白山駅の出入口があり、中央奥の赤い中華料理店の看板を左折すると白山神社である。
旧白山通り 中華料理店手前で左折 旧白山通り 中華料理店手前で左折 

左折する遠くに白山神社の鳥居が見える。
白山神社 白山神社 

6月頃境内を彩るあじさいが有名。天暦年問(947〜57)に加賀一宮白山神社を現在の文京区本郷に勧請したのが始まりとされる。
白山神社 孫文先生座石 白山神社 孫文先生座石 

明治43年5月中旬に孫文と、宮崎滔天とが白山神社の石に座り、中国革命について話し合った、と言う故事を記念し、昭和58年に建てられた。
白山神社 白山神社 
白山神社 白山神社 

神徳

一、御祭神 菊理姫様(結びの神)
伊弉諾尊、伊弉冉尊様(修理固成の神)に依り、縁結び・商談成立(サラリーマン諸氏の信仰を多く集めております)
商売繁昌・受験・家内安全
その他広義に亘る仲介が成されます。
一、航海安全をお守り下さる為、近年は海外旅行に人気があり、無事帰国の際必ず御礼参拝においでになります。
一、霊峰白山に起源する「水の神」「農耕の神」でもあり、火防の神としてお守り下さいます。
一、御本宮(加賀一の宮)の修験者の一人が荒業に耐え成し遂げたと伝えられるむし歯(特に痛みを鎮める)に関するもの
昭和初期迄お守りに房楊子を添えたものが参拝者に配られていました。
白山神社 白山神社 
白山神社 白山神社 

左に梅林とは言えないが、梅の木が植えられている。



 
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