| JR 山手線 有楽町駅(中央口)
有楽町駅〜馬場先門交差点〜二重橋〜皇居前広場〜大手門〜竹橋交差点〜紀伊国坂〜北の丸公園〜田安門〜新春の靖国神社〜九段坂上交差点〜半蔵門〜日比谷駅
【撮影記録】
平成26年 1月 6日 快晴
10:40〜13:00 11,200歩(概算 7.9km 地図上の距離 8.4km)
出発を有楽町駅とし、3日早朝に発生した新幹線運休など大きな被害を出した火災現場に立ち寄った。勤務先が日比谷だったのでニュースで場所がすぐ分かった。駅前は2日経っても焦げ臭い異臭が漂っていた。
東御苑は定例休園日で立ち入ることができず、北の丸公園の施設なども正月休みの延長で閉鎖されていた。
日比谷、大手町界隈は仕事始めのサラリーマンで賑わい、靖国神社は企業の参拝で混んでいたのは例年通りである。 |
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有楽町 中央口前広場 有楽町イトシア ITOCiA
有楽町イトシアは平成19年10月に開業した複合商業施設で、低層のイトシア/プラザと、マルイなどが入るイトシア・オフィスタワーで構成される。 |
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有楽町 中央口前 有楽町イトシア マルイ |
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有楽町中央口から線路沿いに南下
左に張り出している高架は新幹線で、右に下りの山手線と京浜東北線、さらに右に上りの高架がある。火災は新幹線の高架沿いのパチンコ店で、新幹線が運休するのも当然である。
後方の白いビルは、今回の火事で煙のため開業できなかった有楽町マリオンである。火災現場とマリオンとは一方通行の道で隔たれているだけで、ニュースで見ると黒煙がモロにマリオンに流れていた。 |
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有楽町中央口から線路沿いに南下 火災現場
火災現場は異臭が漂い、白い幕で覆われている。この一帯はゴミゴミしてパチンコ屋や飲食店が建ち並び、昼間でも薄暗く、戦後ではないがドヤ街の風景であった。右には有楽町駅銀座口がある。 |
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新幹線の線路沿いに南下 火災現場と銀座マリオン
左の中層ビルの手前の赤い看板があるビルが火災現場のパチンコ店である。シートは張られておらず、焦げ跡が見える。右が有楽町マリオンである。火災時には開店前なので扉は閉まっていたとは思うが、かなりの煙や異臭が店内に流れ込んだだろうというのは想像に難くない。 |
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新幹線の線路沿いに南下 ニュートーキョー本店前交差点で右折、晴海通りへ |
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晴海通りを北西に進む 東宝ツインタワー |
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晴海通り 日比谷交差点で右折、日比谷通りへ
交差点を渡って左角に日比谷公園があり、右折して日比谷濠沿いに北上する。 |
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日比谷通り 日比谷交差点 日比谷サンケイビル、丸の内警察署、第一生命ビル(DNタワー21)
交差点の手前から日比谷サンケイビル、丸の内警察署、第一生命ビル(DNタワー21)である。 |
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日比谷通り 帝国劇場 |
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日比谷通り 馬場先門交差点で左折、馬場先通りへ |
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日比谷通り 馬場先門交差点で左折、馬場先通りへ |
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馬場先通り 馬場先門交差点 馬場先門跡の碑 |
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馬場先通り 皇居外苑 江戸城跡 案内板
江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものでをることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。 |
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馬場先通り 皇居外苑案内図
右の皇居外苑の地図は北が下で、中央の三叉路の交差点が二重橋前交差点である。 |
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馬場先通り 二重橋前交差点で内堀通りを渡る |
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皇居外苑 二重橋前広場 |
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皇居外苑 二重橋
普段は二重橋を渡ることはできないが、新年参賀や天皇誕生日には皇居内に入ることが出来る。手前の石橋を渡ると正門があり、そこから奥の鉄橋を経て宮殿に向かう。
鉄橋と石橋とはさして距離がないように見えるが、実際に鉄橋を渡ると石橋との距離、その高低差に驚かされる。 |