JR 錦糸町駅〜清澄庭園〜門前仲町
【関連サイト】 | 東京の庭園 清澄庭園・清澄公園 | |
江戸百景 深川州崎十万坪(H16−11−03) | ||
江戸百景 大はしあたけの夕立(H16−05−29) | ||
小雪舞う隅田川散策(浅草〜両国〜門前仲町)(H20−02−09) |
四ツ目通り 錦糸町駅前交差点で京葉道路を渡る | |
四ツ目通り 四之橋北交差点 四ツ目通りの由来になった四之橋であるが、首都高7号小松川線の下を流れる竪川に架けられた西から4番目の橋で、2番目が清澄通りである。四之橋の竪川は水がない。 |
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四ツ目通り 住吉二丁目交差点で右折、新大橋通りへ 深川不動尊、富岡八幡宮は清澄通り(二ツ目通り)なので、三ツ目通りを経て清澄通りに向かう。四ツ目通りをそのまま南下すると東陽町駅に着き、右折して永代通りを歩く方法もあるが、清澄通りの方が様々な見所がある。 |
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新大橋通り 住吉一丁目交差点を渡る | |
新大橋通り 菊川駅前交差点で左折、三ツ目通りへ | |
三ツ目通り 森下五丁目交差点で右折、高橋夜店通りへ 清澄通りを歩くと、小名木川に架かる高橋の北詰に高橋のらくろードの大きな案内がある。 |
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高橋夜店通り 森下文化会館(のらくろ館) のらくろは戦前の人気漫画で、サザエさんの長谷川町子の師でもあった田河水泡の家族から寄贈された遺品などを展示している。 |
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高橋夜店通り 芭蕉の句の幟 小名木川の隅田川河口には芭蕉神社を始め、松尾芭蕉の遺構がある。幟は統一されているが書は各店で書かれているらしく、見るに堪えないものも多い。 |
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高橋夜店通り 森下三丁目交差点 この交差点を過ぎると雰囲気は一変し、のらくのの幟が飾られている。 |
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高橋のらくろード | |
高橋のらくろード 常磐高橋交差点で左折、清澄通りへ | |
高橋のらくろード 常磐高橋交差点で左折、清澄通りへ | |
清澄通り 小名木川に架かる高橋を渡る | |
清澄通り 清澄三丁目交差点で清洲橋通りを渡る 清澄通りを都営大江戸線が走り、清洲橋通り東京メトロを半蔵門線が走る。交差点は清澄白河駅である。 |
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清澄通り 清澄庭園 清澄庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て明治になり、三菱財閥の岩崎彌太郎が深川親睦園として買い取り、その後隅田川から水を引いて大泉水を作ったりした。関東大震災で避難場所としての価値に注目され、岩崎家から東半分を東京市に寄付された。戦後に西半分も清澄公園となった。 |
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清澄通り 深川江戸資料館通り 左折してすぐに寛政の改革を行った白河藩主松平定信の墓所があり、江戸六地蔵が置かれている霊巌寺がある。 |
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清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 仙台堀川に架かる海辺橋の手前の深川老人福祉センターの前にある。 江戸時代後期の小説家。明和四(一七六七)年六月九日、旗本松平信成の用人を勤める下級武士の五男として、この地にあった松平家の邸内で生まれ、嘉永元(一八四八)年十一月六日、八十二歳で病没しました。名は興邦、曲亭馬琴・著作堂主人などと号しました。 |
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清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 滝沢馬琴の代表作である南総里見八犬伝、全106冊を表現したモニュメントである。 |
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清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 | |
清澄通り 深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る | |
清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ |