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中央通り 日本橋南詰交差点で中央通りを渡り、野村證券本店脇の道路へ 中央通り 日本橋南詰交差点で中央通りを渡り、野村證券本店脇の道路へ 

日本橋川沿いの区道を昭和通りに至るまで野村證券の本店ビルが続く。
江戸橋南交差点 日本橋郵便局前歩道橋で昭和通りを渡る 江戸橋南交差点 日本橋郵便局前歩道橋で昭和通りを渡る 

右が日本橋郵便局で、左が日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店)である。
昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋郵便局前歩道橋で中央通りを渡る 昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋郵便局前歩道橋で中央通りを渡る 

歩道橋から見た日本橋で、日本橋川の上に架かる首都高都心環状線が見える。
昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 

日本橋ダイヤビルディング(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)

 三代広重が「古今東京名所」で描いた煉瓦造りの「江戸橋三菱の荷蔵」(明治13年(1880)築)が、大正12年(1923)の関東大震災により飛び火で焼け落ちたため、昭和5年(1930)に、耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート造(一部フラットスラブ構造)の近代的都市倉庫「江戸橋倉庫ビル」(地下1階・地上6階建)が建設された。
 船橋を模した屋上の塔屋や上層階の半円窓など、船体を思わせる個性的な外観を持つ、表現主義の影響を受けた代表的な作品、日本橋川をロンドンのテムズ川に見立て、外国航路の本船が停泊しているのが、このビルのモチーフとする見方があり、横光利一著「家族会議」(昭和10年(1935))では、「三菱倉庫のそびえるあたりの静かな波はベニスに似ている」と表現された。
 「江戸橋倉庫ビル」は建設以来80有余年が経過し、環境も変化したため、平成23年(2011)に外観の約7割を保存し建替える再開発に着手し、平成26年(2014)に地上18階建てのオフィスビル「日本橋ダイヤビルディング」として竣工した。
昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 
昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通り 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 
日本橋川沿いの道を東進 首都高都心環状線の高架を過ぎる 日本橋川沿いの道を東進 首都高都心環状線の高架を過ぎる 
 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 

首都高都心環状線の高架を抜けてすぐ左手にある。見落としやすい。

明治十一年ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、同年五月取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。
御社殿に奉安してある倉稲魂命の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるものである。
当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和二年(一九二七年)に再度換地を行い、兜橋橋畦の現在地約六十二坪(約二〇五平方米)を卜して同年六月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和四十四年(一九六九年)5月高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同四十六年(一九七一年)三月現在の鉄筋コンクリート一間社流造り・向拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・敷石などは御影石をもちいた。
 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 
 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 
日本橋川沿いの道を東進 兜神社 兜岩 日本橋川沿いの道を東進 兜神社 兜岩 

境内に安置してある「兜岩」については、かつてはその昔前九年の役(一〇五〇年代)に源義家が東征のみぎりこの岩に兜を懸けて戦勝を祈願したことに由来すると伝えられ、兜町という地名はこの兜岩に因んでつけられたといわれている。
日本橋川沿いの道を東進 日証館、東京証券取引所 日本橋川沿いの道を東進 日証館、東京証券取引所 

左が日本橋公証役場がある日証館、右が東京証券取引所である。
日本橋川沿いの道を東進 証券取引所前交差点で右折、平成通りへ 日本橋川沿いの道を東進 証券取引所前交差点で右折、平成通りへ 
平成通り 証券取引所前交差点 日本橋川に架かる鎧橋 平成通り 証券取引所前交差点 日本橋川に架かる鎧橋 
平成通り 証券取引所前交差点 鎧の渡し跡 平成通り 証券取引所前交差点 鎧の渡し跡 

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
 伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一〇四六〜五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
平成通り 証券取引所前交差点 東京証券取引所 平成通り 証券取引所前交差点 東京証券取引所 
平成通り 証券取引所前交差点 東京証券取引所 平成通り 証券取引所前交差点 東京証券取引所 
平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 

平成通りのビルの間にひっそりとある神社で、気づかずに通りすぎる可能性もある。

赤坂にある日吉山王社の摂社で、山王祭の巡行祭では氏子の各町内を巡行してきた鳳輦はここを御旅所とし、大休憩となって昼食を取る。
平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 

都心にあるにもかかわらず、趣は町の鎮守様である。
平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 平成通り 日本橋日枝神社(摂社) 
平成通り 茅場町交差点で左折、永代通りへ 平成通り 茅場町交差点で左折、永代通りへ 
永代通り 東京証券会館 其角住居跡の碑 永代通り 東京証券会館 其角住居跡の碑 

松尾芭蕉の門下で蕉門十哲の一人である宝井其角の住居跡の碑が東京証券会館脇にある。
永代通り 東京証券会館 其角住居跡の碑 永代通り 東京証券会館 其角住居跡の碑 
永代通り 茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る 永代通り 茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る 
永代通り 茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る 永代通り 茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る 

茅場町一丁目交差点角に花王の本店がある。



 
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