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山手本通り 元町公園 べーリック・ホール |
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山手本通り 元町公園 べーリック・ホール |
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山手本通り 元町公園 べーリック・ホール |
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山手本通り 元町公園 べーリック・ホール
べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。 平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。 |
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山手本通り 元町公園 べーリック・ホール |
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山手本通り 元町公園 エリスマン邸
公園に入ると奥にエリスマン邸が見える。 |
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山手本通り 元町公園 エリスマン邸 |
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山手本通り 元町公園 エリスマン邸
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。 |
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山手本通り 元町公園 エリスマン邸
エリスマン邸は「現代建築の父」と言われるアントニン・レーモンドの設計で、大正15年(1926)に建てられた建築史上極めて価値の高い洋館です。平成2年、元町公園内に移築・復元されました。 1階は大正時代の洋館の部屋のようすを復元し紹介しています。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂庭を眺めるサンルームがあります。2階では“横浜山手”の歴史やこの地区にある洋館の紹介をしています。写真、図面など洋館に関する資料を展示しています。 |
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山手本通り 元町公園
元町公園はショッピングの街元町通りの奥、外人墓地のの西隣りに位置する公園で、昭和5年(1930)6月1日に公開されました。この付近は幕末の頃から外国人居留地で、外国人住宅や教会などの洋館がたくさんあった所です。明治の初め、この地でフランス人ジュラールは山あいから湧き出る天然水を利用し簡易水道をひき、それを外国船に飲料水として売ったり、西洋瓦やレンガを製造・販売していました。その跡が水屋敷として今も公園の中に残っています。園内はサクラ・シイ・カシ・イチョウなど緑豊かな樹林に囲まれ、四季を通じて情緒のある公園となっています。50mプールは夏場にレジャープールとして利用されています。 |
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山手本通り 元町公園前 山手234番館 |
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山手本通り 元町公園 界隈案内図 |
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山手本通り 元町公園前 横浜山手聖公会
元町公園の外れ、外人墓地との境にあり、第一印象はチェスのルーク(城)である。なぜ城が、と思ってよく見ると教会だった。 |
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山手本通り 山手外国人墓地
もと増徳院の境内であったこの地は、安政元年(1854)2月、日米和親条約(神奈川条約)をむすぶため来日中のアメリカ使節ペリー一行のうち、客死した海兵隊員を葬ったのに由来し、横浜開港後、居留外国人の葬地となった。生麦・井土ケ谷両事件の被害者を始めとし、明治初期、日本文化に貢献したワーグマン、モレル、へールツなどが眠っている。 |
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山手本通り 山手外国人墓地
墓地なので立ち入ることは出来ないが、様々な形の十字架など、宗派による違いなどが見て取れる。 |
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山手本通り 山手外国人墓地 |
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山手本通り 山手外国人墓地 |
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山手本通り 山手外国人墓地 |
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山手本通り 山手外国人墓地前交差点で右折
左折して外国人墓地沿いに坂を下ると、アメリカ山公園を経て元町商店街に出る。 |
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山手本通り 突き当りの港の見える丘公園前交差点 |