|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(横堀)沿いの遊歩道 海手お伝い橋 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(横堀)沿いの遊歩道 東京湾への横堀水門 |
|
浜離宮恩賜庭園 東京湾沿いの遊歩道 新樋の口山
新樋の口山
東京湾に面した水門近くの山。レインポーブリッジやお台場など臨海副都心を一望できます。 |
|
浜離宮恩賜庭園 辻で将軍お上がり場へ
木立の中を歩くので同じような風景であり、道標に従って歩く。 |
|
浜離宮恩賜庭園 東京湾 将軍お上がり場
将軍お上がり場
将軍が船に乗降する所です。昭和24(1949)年のキティ台風で階段の一部が崩れて海中に沈みました。
後方の茶色の外壁に斜めに走る黒線が特徴のビルは、清澄通りの勝どきにあるザ・東京タワーズである。 |
|
浜離宮恩賜庭園 水上バス発着場
水上バス発着場
「浅草」「両国」「お台場海浜公園」、及び「葛西臨海公園」「桜橋」等への発着場です。隅田川に架かる個性豊かな14の橋を楽しむこともできます。 |
|
浜離宮恩賜庭園 水上バス発着場 浜離宮恩賜庭園 案内 |
|
浜離宮恩賜庭園 水上バス発着場 浜離宮恩賜庭園 案内 |
|
浜離宮恩賜庭園 木立を南下
同じような木立が続くのでまず南下して目印を探すことにする。 |
|
浜離宮恩賜庭園 東京湾沿いの遊歩道 新樋の口山 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(横堀)沿いの遊歩道 東京湾への横堀水門 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(横堀)沿いの遊歩道 庚申堂鴨場 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(横堀)沿いの遊歩道 海手お伝い橋
さすがに潮入の池(大泉水)からと同じ道が続くと出入口の大手門にどう行ったら良いのか不安になる。しかし、なかなか大手門行きの道標が見つからず、海手お伝い橋で「出口」と表示されている道標を見つけた。 |
|
浜離宮恩賜庭園 道標に従い右折 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(大泉水) 北縁の遊歩道 松の御茶屋
松の御茶屋
11代将軍家斉の時代に建てられた茶屋群のひとつ。
戦災で焼失しましたが、残された礎石などの遺構を調査し、平成22年に復元されました。史料に忠実な建築により、往時をしのばせる景色がよみがえりました。 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(大泉水) 北縁の遊歩道 中島の御茶屋 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(大泉水) 北縁の遊歩道 潮入の池
海水を取り入れて、潮の干満により水位を上下させ、庭園の趣に変化を生ずるように作られている池のことを「潮入の池」といいます。
この庭園は、約28,000 u(8,500坪)の大泉水を中心として作られており、潮入の池を持つ代表的な大名庭園です。池には、ボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギ、カニなどが生息しており、秋・冬には、多くの鴨類やユリカモメなどが飛来します。 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(大泉水) 北縁の遊歩道 お伝い橋 |
|
浜離宮恩賜庭園 潮入の池(大泉水) 北縁の遊歩道 お伝い橋
宝永4年(1707)のちの6代将軍徳川家宣が、本園の大改修をおこなった時初めてこの橋を架けられました。往時のものと姿は変わっても水面に映る橋と中島の御茶屋の優雅さはひとしおであり、昔も今も変わることなく庭園景観の中心となっています。平成24年に改修した現在の橋は、橋長約118mの総桧造りであります。 |
|
浜離宮恩賜庭園 可美真手命の像
饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄をたてたと言われる軍神の銅像です。
明治27年(1894)明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品であります。台座には、佐野昭制作、鈴木長吉鋳と記されています。 |
|
浜離宮恩賜庭園 可美真手命の像 |
|
浜離宮恩賜庭園 芳梅亭 |
|
浜離宮恩賜庭園 芳梅亭から風景
汐留シオサイトの高層ビルが聳え立つ。 |
|
浜離宮恩賜庭園 芳梅亭 浜離宮恩賜庭園 案内図 |
|
浜離宮恩賜庭園 芳梅亭前の三叉路を右折、北上
三叉路を直進し、西に向かうと中の御門の出入口に着く。 |
|
浜離宮恩賜庭園 花木園 |
|
浜離宮恩賜庭園 内堀 |
|
浜離宮恩賜庭園 突き当りにある三百年の松
三百年の松
今から約300年前六代将軍家宣が、庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松。太い枝が低く張り出し、いまなお堂々たる姿を誇っています。 |
|
浜離宮恩賜庭園 突き当りにある三百年の松
およそ300年前の宝永6年(1709)6代将軍徳川家宣が、この庭園を大改修した(その時から「浜御殿」と改称された)ときに植えられたと伝えられており、その偉業を表現するような勇姿は昔時をしのばせるもので、都内では最大級の黒松であります。 |
|
浜離宮恩賜庭園 大手門 出口 |