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円通寺〜日光街道〜千住大橋
円通寺 上野戦争遺構(彰義隊士墓、寛永寺 黒門)
円通寺の住職が慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士の死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。寛永寺の黒門は上野戦争の激戦地として知られ、門柱には多くの弾痕が刻みつけられている。彰義隊士の墓がある一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた顕官の慰霊碑が多く戦死者の碑は少なかった。大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲、榎本武揚など上野戦争に参加していない顕官の大きな碑が並ぶ。御書院番として「戊辰五月十五日 於上野山王台戦死彰義隊 後藤鉄次郎 追吊碑」が目につくが、肝心の戦死者の碑は目立たない。
日光街道〜素盞雄神社〜千住大橋
日光街道を北上し、小塚原回向院、南千住駅前を通る吉野通り(コツ通り)が合流する南千住交差点には素盞雄(すさのお)神社がある。荒川区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で、翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。飛鳥の杜には子育ての銀杏があるが、境内にいくつも建てられたテントや社殿の色々な階段だけでなく、神楽殿にも飾られている雛人形には圧倒される。氏子が不要になった人形を奉納したと思われるが、その保管や展示の手間を考えると脅威を感じる。隅田川に架かる千住大橋の南詰には八紘一宇の碑や千住大橋由来碑が並び、北詰には松尾芭蕉の奥の細道の矢立初めの地碑が建つ。
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