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明治通り 新宿三丁目交差点(伊勢丹新宿店)で新宿通りを渡る |
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明治通り 伊勢丹新宿店前を北上 |
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明治通り 新宿五丁目交差点で靖国通りを渡リ左折 |
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明治通り 新宿五丁目交差点で靖国通りを渡リ左折 |
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靖国通り 花園神社
花園神社は新宿五丁目交差点で左折してすぐの所にある。 |
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花園神社 参道 唐獅子像
花園神社の唐獅子像
文政四年(一八ニ一)に造立された雌雄一対の銅造の唐獅子像である。
内藤新宿の氏子たちにより奉納されたもので、台座には発願者・援助者・世話人等の名が刻まれている。
像高七十五センチ、台座高一三七センチ。彫工佐脇主馬の製作した原型により、鋳工村田整a(初代)が鋳造したもので、注連縄が浮彫された台座は石工本橋吉平衛の手になるものである。
頭部は四つの部分(上頭部・顏・後頭部・たてがみ)に分けて鋳造し、身体も胴から後足、前足、尾の三つの部分をそれぞれ左右に分けて鋳造したものを接合して製作されている。 |
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花園神社 参道 唐獅子像 |
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花園神社 参道を北上 |
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花園神社 参道を北上
鳥居の先に神楽殿が見える。 |
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花園神社 参拝のため拝殿前に並ぶ人々 |
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花園神社 参拝のため拝殿前に並ぶ人々
花園神社は古来新宿の総鎮守として内藤新宿に於ける最も重要な位置を占め来たった神社である。徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にして大和国吉野山より御勧請せられたと伝えられる。 寛永年中以前の社地は現在の株式会社伊勢丹の地域にあり、東西六十五間、南北七十五間に亘った神域であった。朝倉筑後守此の地に下屋敷を拝領されるに及び、神社をも下屋敷の内に囲い込まれたのでその由を御訴えに及び現在の社地を代地に拝領したと伝えられる。
普段は人影もまばらな境内にこれほど長い列が出来ているとhさ思わなかった。明治神宮同様参拝せず帰ることにした。 |
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花園神社 参道 唐十郎特設紅テントがあった場所
初詣客相手に設けられた茶店跡にはかつて唐十郎特設紅テントがあり、その公演は花園神社の名物でもあった。 |
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花園神社 参道 大鳥居から明治通りに出て左折 |
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明治通り 花園神社 大鳥居 |
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明治通り 花園神社北 明治通りバイパス(御苑通り)分岐点
花園神社のすぐ先の明治通りバイパスは御苑通りと呼ばれ、明治通りの東側を通って新宿御苑の新宿門手前まで運用されている。新宿御苑内を通過することに反対があり、計画から70年経っても全線開通しなかったが、東京オリンピックに合わせて地下化して千駄ヶ谷五丁目交差点付近に出ることで工事が進められている。 |
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明治通り 花園神社北 新宿区役所分室の看板で左折 |
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新宿区役所分室手前にある新宿三丁目駅
看板で左折すると奥に新宿区役所分室があり、その手前に新宿三丁目液がある。但し、この出入口から新宿三丁目駅まではかなりの距離がある。 |
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東京メトロ 副都心線 新宿三丁目駅 |