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コルドバ〜セビーリャ〜マドリード

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  カルモナ〜コルドバ

 カルモナから曇天の高速道路をコルドバへ向かう。グアダルキビル川に架かるローマ橋北詰にあるプェンテ門を通り、右手のメスキータ沿いに北上し北側のミナレット横の免罪の門脇にあるチケット売り場から中に入る。オレンジの中庭の回廊を南下、大聖堂に向かう。ミナレットは免罪の門の横にそびえるイスラム寺院の尖塔である。

 メスキータとはスペイン語でモスク(イスラム教寺院)のことで、780年にアブドゥル・ラフマーン1世によって西ゴート王国の教会の跡地に建立された。建物の中央部には16世紀に造られた大聖堂(カテドラル)がある。時の王カール5世は大聖堂(カテドラル)完成後に「お前たちはどこにもないものを壊して、どこにでもあるものを造った」と嘆いたという逸話も残されている。メスキータに入ると約850本もの円柱が林立し、赤レンガと白い石を組み合わせた、馬蹄形の二重のアーチで天井を支えている。素材の違う2種類の石を組み合わせることにより、強度を増している。円柱の「森」とは言い得て妙であり、赤白のアーチが美しい。教会に様々な金や銀の宝物が納められており、かつてのスペインの栄華が偲ばれる。

 大聖堂を見物後、オレンジの中庭に戻り、免罪の門から出て北にあるユダヤ人街に向かう。ユダヤ人街はメスキータ北西の、白壁の家と路地が続くエリアでカトリック両王による追放令が出されるまで、多くのユダヤ人が住んでいた。細い道が複雑に入り組んで迷路になっており、現地ガイドにハグレると迷子になる。町の南側には、赤やピンクの花が咲き乱れる「花の小路」と呼ばれる場所がある。白い壁の両側に植木鉢がびっしりと吊されており、観光客に人気のスポットである。ユダヤ人街の散策を終え、出発点のプェンテ門に戻る。

  コルドバ〜セビーリャ

 時折激しくなる雨の高速道路を走るもセビーリャに着くと暑いくらいの晴天に変わり、ポルトガル通りからスペイン広場へ入る。スペイン広場は1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られ、レンガとタイルを組み合わせた半円形で、スペイン各県の特徴や歴史を描いたタイル画のベンチがある。映画のロケ地としても有名で、アラビアのロレンスやスターウォーズで使われている。タイル画には風車に向かうドン・キホーテと従者サンチョ・パンサとか、グラナダやコルドバではレコンキスタのイスラム王国の降伏シーンが描かれている。旧市街に入り、黄金の塔からインディアス古文書館、アルカサルのライオンの門を経て大聖堂(カテドラル)、ヒラルダの塔前の公園を過ぎ、大聖堂(カテドラル)入口があるトリウンフォ広場に至る。

 セビーリャの大聖堂(カテドラル)は1402年から1世紀余をかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂で、スペイン最大の規模を誇る。中に入ると巨大な円柱が圧倒的で、数多いステンドグラスが美しい。主祭壇は修復工事中なのか、理由は分からないが、柵のため近寄れない。セビーリャは新大陸発見時の栄華が残っており、宝物室は金製品と銀製品とで部屋が別れている。 遺体ではなく遺灰が入ったコロンブスの墓は1898年のキューバ独立後、ハバナ大聖堂から移された。棺はレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の歴代国王が担いている。前列右の王は十字架の付いた槍でザクロを刺している。ザクロはスペイン語でグラナダといい、この王はグラナダを制したカスティーリャ王である。

 大聖堂(カテドラル)のオレンジの中庭からトリウンフォ広場を経てサンタ・クルス街に向かう。サンタ・クルス街はセビーリャのカテドラルの東側に広がる、市内で最も色濃く旧市街の情緒を残している界隈である。同じような風景が続き、現地ガイドがいないと歩くことも出来ない。時刻は16時過ぎだが、道路に設けられたテーブルを囲んでビールやワインの宴会が繰り広げられている。ムリーリョ公園にあるコロンブスの記念碑には船腹にはイザベル女王とフェルナンド王の名が書かれ、台座にはコロンブスの顔がある。

  セビーリャ〜マドリード

 スペインの新幹線はスペイン高速の略称からAVEと呼ばれ、最高時速300kmで運行する。セビーリャのサンタ・ジュスタ駅から新幹線に乗るが、マドリードのアトーチャ駅には予定より5分以上早く着いた。添乗員によれば5分、10分の狂いは誤差だそうで、1分以内が常識の日本とは大違いである。バルセロナからバレンシアの時同様、ポーターはいないので結構な距離を歩かされる。アトーチャ駅はスペイン各地から不況対策を訴える全国的なデモ行進の最終日となり、帰宅する人で大混雑で、送迎バスがいつもの所に停まれず更に歩かされる。これでお終いと思ったら、ホテル向かいの国会議事堂周辺がデモ規制でバスが停まれず、スーツケースを押しながら坂道を上らされた。






 
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