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1号路(表参道)
今までの急坂が嘘のようになだらかな道が続く。登山口からの登りでは見なかった年配者や、幼児連れの姿が急に増える。 |
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薬王院 表参道 浄心門
浄心門をくぐってすぐの左手に神変堂がある。 |
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薬王院 表参道 神変堂 |
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薬王院 表参道 神変堂
神変大菩薩は又の名を役の小角、或いは役の行者と申され千三百年程前の山岳修行道(山伏)の開祖であります。
役の行者は日本全国の霊山、霊場に修業し、数々の不思議なご霊験を残されました。
ここ高尾山においても所願成就の御誓願をたてられて御尊像がこのお堂に安置され、多くの御信徒からの信仰を集めております「南無神変大菩薩」とお唱えし、足腰心身の健康をお願いしましょう。 |
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薬王院 表参道 神変堂 |
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薬王院 表参道 神変堂 |
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薬王院 表参道 神変堂
こちらに並ぶ二匹の鬼の像はむかって右側が前鬼(妙童鬼)左側に後鬼(善童鬼)といいます。
その昔赤目と黄口という鬼の夫婦が現われて村の子供をさらっていきました。村人に相談された役行者(神変大菩薩)はたちまちに山奥の鬼の住処を探すと反対に鬼の子供を一匹隠してしまいました。それに気付いた鬼の夫婦は怒って役行者に襲ぃかかりますが役行者の験力にかなう筈がありません。たちまちに降参した鬼の夫婦は心を悔い改めて人の為に尽す心を持つのを条件に子供を返してもらいそのまま役行者の従者として仕えるのを誓いました。
赤目は前鬼(妙童鬼)となり水瓶を持ち役行者の山中修業にはかかせない水を汲み黄口は後鬼(善童鬼)となり背中に笈を担ぎ手には斧を持ち役行者が修業をする道を切り開き薪を切り役行者に尽くすのです。この前鬼・後鬼の像は自分の為ではなくまず先に人々の救済そして幸せを願うという心すなわち菩提心を表わすと共に人に尽くし許しあい信じあう仏の慈悲を象徴する姿でございます。 |
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薬王院 表参道 殺生禁断碑 |
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薬王院 表参道 高尾山 境内案内図
開創
当山は天平十六年(一千二百有余年前)行基菩薩が聖武天皇の勅願を奉じ東国鎮護の総祈祷寺として開山された。
中興
今から六百年前俊源大徳がこれを中興し併せて飯縄大権現を杞って修験道の根本道場とした。
宗派
現在は新義真言宗智山派に所属する大本山であり高尾山薬王院有喜寺と称する関東三山の一つである。
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薬王院 表参道 高尾山 境内案内図 |
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薬王院 表参道 道標#9 |
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薬王院 表参道 男坂、女坂分岐点
右は女坂、左は百八の石の階段がある男坂である。往復とも男坂を歩いたので女坂の様子は分からないが、一般的には男坂は距離は短いが、急坂である。 |
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薬王院 表参道 百八の石の階段 |
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薬王院 表参道 百八の石の階段
この石段は百八段あります。
百八とは、人間の限りない悩みや苦しみの煩悩を意味するものです。
ご本尊様の加護により、かかる苦しみ
悩みを踏み越えられるよう、一歩ずつ
「なむ、いづなだいごんげん」と念じながら、この石段をお登りください。 |
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薬王院 表参道 百八の石の階段
下からよりも上から見た方が急坂に見えるが、実際に歩くとそれほど急でもない。「百八」という数ほど長くも感じなかった。 |
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薬王院 表参道 句碑が続く
どういう謂れがあるのか知らないし、有名な人もいないが、句碑が延々と続く。 |
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薬王院 表参道 道標#10 |
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薬王院 表参道 権現茶屋
今までにも茶屋は多くあり、自動販売機も多くあるが、ゴミ箱は一切なく、ゴミは各自が家に持ち帰るように、との案内が掲げられている。予備の飲料水を持参していたので問題ないが、注意が必要である。
ちなみに、今回歩いた所はペットボトルなどゴミは全く捨てられていなかった。登山者の中にはたばこが吸いたい、と騒ぐ人もいたが、喫煙者も全くいなかったのは見事である。当然と言えば当然ではあるが。 |
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薬王院 表参道 権現茶屋 |
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薬王院 表参道 ミシュラン三つ星の碑
ミシュラン三つ星として世界に認められた高尾山の自然を後世に残す決意をこめて2009年高尾山環境保全基金を創設し、このモニュメントを建立する。 |