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春日通り 春日町交差点で白山通りを渡る |
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春日通り 東富坂(真砂坂)を上る
本来の「東富坂」は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。現在は、「旧東富坂」と呼んでいる。もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集ってくることから「鳶坂」といい、いつの頃か「富坂」と呼ぶようになったという。 現在の東富坂は、本郷3丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂道である。この市電は、1908年4月11日に開通した。現在、文京区役所をはさんで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。
急坂とは思わないが長い坂で、上った所が真砂坂上交差点である。真砂町と言えば古いが、婦系図の真砂町の先生を思い出す。 |
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春日通り 東富坂(真砂坂)を上る
丸ノ内線が通る旧東富坂との合流点で、この先の交差点が真砂坂上交差点である。 |
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春日通り 本郷三丁目交差点で本郷通りを渡る |
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春日通り 本郷三丁目交差点で本郷通りを渡る |
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春日通り 本郷三丁目交差点で本郷通りを渡る
交差点手前に本郷消防署があり、その隣(茶色のビル)に本富士警察署がある。 |
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春日通り 湯島天神入口交差点で右折
湯島天神の石鳥居が見える。 |
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湯島天神 本殿
梅まつりの湯島天神は別ページにまとめた。 |
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春日通り 春日通り 天神下交差点で右折、不忍通りへ |
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不忍通り 池之端一丁目交差点で左折
不忍池に突き当って左に曲がる。 |
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不忍通り 池之端一丁目交差点で左折 |
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不忍通り 不忍池沿いに北上 |
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不忍通り 不忍池西交差点
左は中華レストランの東天紅である。 |
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不忍通り 横山大観記念館
日本画家の横山大観の旧居を記念館として公開している。 |
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不忍通り 横山大観記念館 横山大観顕彰碑
横山大観先生は近代日本画壇の代表的巨匠である。明治元年水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生まれ、本名を秀麿 母方の横山の姓を継ぐ。 明治二十六年東京美術学校卒業。校長岡倉天心に愛されて終生大きな感化を受けた。明治三十年東京美術学校助教授となったが一年で職を辞し岡倉天心が創設した日本美術院に下村観山 笑田春草とともに日本画の革新運動を起した。その後美術研究のためインド ヨーロッパ各地及び中国などを視察し 師天心の思想である東洋の理想を受けつぎ、新しい日本画を創造した。 明治四十五年からこの地に居し画筆をとる。昭和十年帝国美術院会員 昭和十二年第一回文化勲章受章。 代表作に「無我」「瀟湘八景」「生々流転」の他多くの水墨山水 富士山などがある。 昭和三十二年五月台東区名誉区民に推戴された。昭和三十三年二月歿 九十歳 |
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不忍通り 上野動物園 池之端門 |
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不忍通り 上野動物園 池之端門 界隈案内図 |
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不忍通り 池之端二丁目交差点 |
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不忍通り 根津一丁目交差点で言問通りを渡る
不忍通りのこの交差点前後に千代田線根津駅がある。
当初予定では根津神社、六義園を経て駒込駅まで歩く予定であった。しかし、左足のアキレス腱周りの痛みが激しくなり、休憩を兼ねて昼食をとった。それでも痛みは取れず、交差点を渡った所にある根津駅で歩行を中止した。 |