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常磐線 偕楽園駅(臨時駅)
偕楽園駅(臨時駅)〜常磐神社〜義烈館〜東湖神社〜偕楽園(東門〜見晴広場〜仙奕台〜好文亭〜二名匠の碑〜御成門〜梅林〜東門)〜大日本史完成之地の碑〜偕楽橋〜千波湖(ボート乗り場〜芳流橋〜千波大橋)〜水戸東照宮〜水戸駅
【撮影記録】
平成31年 3月 2日 快晴
11:15〜15:05(昼食 30分) 10,100歩(概算 6.6km 地図上の距離 5.1km)
偕楽園駅が営業している土、日を選んで行きは品川から2時間半かけて快速で、帰りは1時間半の特急を利用した。行きは自由席のグリーンを使ったが、1000円追加しても水戸から上野までノンストップの特急を利用したほうが疲れないと思った。天候に恵まれたが、偕楽園、千波湖とも休憩する所がほとんど無く、千波大橋に来た時は腰痛が激しく、水戸東照宮の急階段は断念し、そこから近い弘道館まで歩く体力がなかった。 |
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常磐線 偕楽園駅(臨時駅)
偕楽園駅は、偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅である。営業時間中(当該期間の土曜・休日の9時10分頃 - 15時30分頃)の下り列車(水戸方面)のみ停車する。普通列車の他特急列車「ひたち」「ときわ」も停車し、臨時の快速列車や急行列車も停車するものがある。
昭和62年に偕楽園駅(臨時駅)に改称、平成24年まで、IC乗車カード(Suica等)は当駅では利用できなかったが、平成25年2月20日から簡易Suica改札機が設置された。 |
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常磐神社 表参道 |
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常磐神社 表参道 |
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常磐神社 表参道 常磐神社 御由緒
常磐神社(ときわ じんじゃ) 旧社格は別格官幣社です
偕楽園に入る前にまず常磐神社におまいりしましょう
◆御祭神 二柱
高譲味道根命 (徳川光圀公諡=義公)
大日本史編纂の祖
押健男因御楯命(徳川斉昭公諡=烈公)
偕楽園開園の祖
○右のお二柱をご祭神として、
明治七年五月十二日に現在地に鎮座されました。
これ以前には偕楽園内の祠堂に祀らわており、
明治六年に明治天皇より勅旨を以て
「常磐神社」の社号を賜り県社に列格、
明治十六年には別格官幣社に昇格しました。
○光圀公はテレビドラマ等で「水戸黄門」として有名です。
「大日本史」の編纂を始め、水戸学を興しました。
○斉昭公は最後の将軍「徳川慶喜公」の父君です。
藩校【弘道館】を創設し、【偕楽園】を開園しました。
◆境内にある歴史博物館「義烈館」には
「大日本史」・「陣大鼓」・大砲「大極」等、たくさんの遺品・遺墨・水戸学関係史料が収蔵展示されており、 一見の価値があります。ぜひご覧下さい。 |
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常磐神社 表参道 常磐神社 御由緒 |
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常磐神社 表参道 大鳥居
かなり急な石段であり、表参道の中間に大鳥居がある。 |
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常磐神社 表参道 |
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常磐神社 表参道 |
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常磐神社 境内から見た表参道 大鳥居 |
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常磐神社 表参道
境内、表参道一帯は様々な露店が並んでいる。 |
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常磐神社 表参道 鳥居、御社殿 |
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常磐神社 表参道 参拝の長い列が続く御社殿
はじめは鳥居の先まで境内一杯に参拝客が溢れているのかと思ったが、境内は広く、参拝をしなければ余裕を持って見物できる。もっとも参拝しない人は数少ない。 |
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常磐神社 表参道 参拝の長い列が続く御社殿 |
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常磐神社 御社殿裏の風景
御社殿横の出入り口を抜けると左に末社の三木神社があり、右の御社殿裏にはいくつもの遺構がある。 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 万世に伝う碑 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 万世に伝う碑
万世に伝う碑の由来
当社御祭神・水戸第九代藩主徳川斉昭公(烈公)は就封当初より海防への関心が高く、嘉永六年(一八五三)に浦賀沖に現れたペルリの黒船来航以前より、幕府に対し大船建造の解禁を再三にわたり提言。泊りくる外国の脅威に対し軍備の近代化を推し進めることが急務であると説かれ、自ら様々な新兵術・新兵器の研究工夫を怠らなかった。
殊に我が国にば騎砲の技が発達していないことを遺憾と思われた斉昭公は、馬の乗り方から鉄砲の打ち方まで工夫研究され、これを「新発流」と名付けられた。
この碑は水戸の砲術・唯心術の伝来と神発流への発展の由来を記したものである。 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 備前焼狛犬 一対
この狛犬は、明治八年(一八七五)八月に東茨城郡小川村(現小美玉市)の伊能林兵衛、同新兵衛が願主となり、六十四名の崇敬者によって寄進奉納されたもので、備前焼で作られた大変珍しい狛犬である。
奉納式では盛大に太々神楽が催されたといい、その後、昭和七年(一九二八)七月、この狛犬は伊能林兵衛の奉納金をもって修繕された。
なお、この狛犬と同じものが東茨城郡大洗町に鎮座する旧国幣中社・大洗磯前神社にも奉納されている |
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常磐神社 御社殿裏の風景 備前焼狛犬 一対 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 備前焼狛犬 一対
万世に伝う碑の左右に一対が奉納されている。 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 仰景碑 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 仰景碑
仰景碑の由来
この碑には、当社御祭神・水戸第九代藩主徳川斉昭公(烈公)の愛民の治政、特に天保年間の打ち続く飢饉に際し、餓死を免れた常磐村十二戸の農民達が烈公の仁徳に感謝し、その恩に報いるべく御陰講(みかげこう)という講社を結んだ由来、その農民たちが毎年寄り集まって君恩報謝の行事を行う慣例となったことや、やがて明治七年(一八七四)の当社御創建に際して、講員達により杉苗三千本が奉納されたことなどが記されている。
ちなみに碑文は、大日本史編纂の最後の完成に尽力された東京帝国大学教授・栗田寛博士によるもので、正面の題字は正三位福羽美静の揮毫である。 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 末社 三木神社
末社 三木神社
御祭神 三木之次命(みきゆきつぐのみこと)
三木武佐命(みきむさのみこと)
創 祀 昭和40年12月11日
祭 礼 12月11日:例祭
毎月11日 :月例祭
御神徳 安産、子授け、子育て、家庭円満
徳川光圀公(水戸黄門)は、水戸藩家老三木邸にて誕生し、
幼少の頃はこの三木夫妻に慈育されました。
また、御神裔三木啓次即氏は、松下電器創業者の松下
幸之助氏が苦労されていた若い頃に援助をされた、と
いうご縁で、当社の鎮座の際は松下幸之助氏より多大
な浄財が奉納されました。
このようなことから、現在もテレビドラマ「水戸黄門」
は松下電器の提供となっております。 |
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常磐神社 御社殿裏の風景 末社 三木神社 |