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早稲田大学 キャンパスツアー ツアーガイド
90分のキャンパスツアーは4組に分かれ、第2組のツアーガイドは政経学部政治学科2年の加藤亜里沙さんだった。このようなガイドを専門にしているようで、名前が刺繍されたブルゾンを着ている。小柄であるが、シャキシャキした快活な現役女子大生である。
キャンパスツアーは會津八一記念博物館(2号館)横に集合してキャンパス内を巡る。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 早稲田キャンパスのメインストリートに出る |
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早稲田大学 キャンパスツアー 1ヶ月前にオープンした3号館(政経学部)
會津八一記念博物館(2号館)の向かいにあり、昭和8年竣工の旧校舎の外壁を一部残して1ヶ月前にオープンした校舎である。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 1ヶ月前にオープンした3号館(政経学部) |
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早稲田大学 キャンパスツアー 1ヶ月前にオープンした3号館(政経学部)
自分の学部でもあるので、自己紹介をした。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 會津八一記念博物館(2号館 旧中央図書館)
大正14年建設の旧中央図書館だったが、旧安倍球場跡に移転して平成10年に會津八一記念博物館となった。
学生時代、理工学部が現在の早稲田キャンパスから西早稲田に移転して間もなかったこともあって図書館機能が弱く、当時本部図書館と言っていた中央図書館に通った。天井が高く、少しかび臭かったが趣ある建物だった。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 大隈侯銅像前で右折
色々な模擬店が並び、右に新築の3号館(政経学部)、左に7号館(国際コミュニティセンター)がある道を北上する。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 坪内博士記念演劇博物館(5号館) |
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早稲田大学 キャンパスツアー 坪内博士記念演劇博物館(5号館)
シェークスピア時代の劇場を模したもので、坪内逍遥や歌舞伎など演劇に関する展示物があり、早稲田の見学コースには必ず上がる。最近は演博(えんぱく)と言われている。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 坪内博士記念演劇博物館(5号館)
正式には早稲田大学坪内博士記念演劇博物館という。
昭和三(一九二八)年十月に坪内逍遙の古稀と「シェークスピヤ全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志千五百名余の協賛により建設された。建築の意匠は逍遙の発案によりイギリスのエリザベス朝(十六世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。
鉄筋コンクリート造、地上三階、地下一階、建坪は約四〇〇平方メートルで、内部は逍遙記念室をはじめ八つの展示室、図書閲覧室がある。
また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、二階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。
なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グロープ座に掲げてあった看板の句である。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 坪内博士記念演劇博物館(5号館) 坪内逍遥先生像
何時出来たのか知らないが、像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われており、右手はそのため光っている。
台座上の坪内逍遥胸像は、彫刻家、長谷川栄作氏の原型により昭和三十七年に鋳造されたもので、逍遥の「シェイクスピア講義」の姿である。 また、台座は、早稲田大学後援会事業資金、池田恒雄氏、近桂一郎氏の協力により演劇博物館創立七十周年記念に建立され、歌碑の内容は逍遥を偲んだ會津八一の自筆の和歌である。
むかしひと こゑも ほらかに たくうちて とかしし 於もわ みえ きたる かも 秋艸道人 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 旧理工学部校舎(6号館)
演劇博物館の西側にある建物で、通り抜けの通路には「豊明会記念 応用化学実験室」の銘板がある。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 6号館を抜けて右折、北上
正面の14号館は社会科学部校舎である。社会科学部は昭和41年に出来た学部で、学生時代は二部(夜間)の上に新しいので馴染みは全くない。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 北門でグランド坂通りを渡り、総合学術情報センター(旧 安部球場)へ
今はないが、安部球場に因んでグランド坂通りと言われる。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 案内図 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 中央図書館、国際会議場
早稲田ナショナリズムの権化のような建物で、全体として「W」の文字を描いている。左は中央図書館でかつての図書館(理工学部生は本部図書館と言い、現在の会津八一記念博物館)の重厚さは無いが、落ち着いた設備の整った図書館である。
右は国際会議場、井深大記念大ホールで、井深大は理工学部出身で、ソニーの創業者である。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場)
キャンパスツアーはなので特別に図書館内の見学が許されたが、撮影禁止など見学時の注意事項やセンターの説明が事前に行われた。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 安部球場関連記念碑
早稲田大学野球部の創設者で、「早稲田の野球の父」である安部磯雄の功績を讃えて作られた球場で、最初の早慶戦とか、出陣学徒の壮行早慶戦など多くのエピソードがある。飛田穂洲は早稲田大学の選手、監督で、「学生野球の父」と称された。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 安部球場関連記念碑
中央に安部磯雄像、左に飛田穂洲像があり、左端の小さな柱は早慶戦百周年記念碑で以下のように書かれている。
早稲田大学野球部の挑戦状を以って始まった早慶戦の第三回戦が一九〇四年十月三〇日当地にて挙行された。
右端の銘板には以下の内容が記されている。
ここにかつて野球場があった。第二次世界大戦前は戸塚球場と呼ばれ、戦後は安部球場と称されて早稲田の歴史を共に歩み、全早稲田人に親しまれてきたグランドである。(以下略) |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) 早稲田ナショナリズム
車両進入停止線であるが、黄色の直線ではなく、スクールカラーのエンジ色の「W」の形をしている。撮影禁止であるが、中央図書館内のソファーや階段の手すりも「W」となるデザインである。
慶大生は、早稲田には校歌がなく、応援歌が校歌代わりに歌われている、と揶揄する。。言うまでも無く、「都の西北」は「早稲田、早稲田、早稲田」の繰り返しで終わっており、ほとんどの応援歌も同じ形式である。これを早稲田ナショナリズムと称するが、早稲田生はむしろ誇りに思っている。
この他にも喫煙所のタバコまで「W」と、総合学術情報センター界隈には遊び心が溢れている。 |
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早稲田大学 キャンパスツアー 総合学術情報センター(旧 安部球場) グランド坂通りを渡り北門へ |