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掲示板(一言どうぞ) |
早稲田通りを西進、馬場下町交差点で左折、諏訪通りへ入り、早稲田大の戸山キャンパス正門から会場の早稲田アリーナに向かう。今までは創立75周年記念で昭和32年に誕生し、東京オリンピックではフェンシング会場として使われた記念会堂でホームカミングデーの式典が行われた。創立150周年(令和14年)に向けての長期計画で、平成27年から早稲田アリーナとして生まれ変わり、今年(平成31年)3月から利用開始となった。9:30の開場で演壇正面に席を確保後、諏訪通りを戻り馬場下町交差点から早大南門通りに進み、早稲田キャンパスの正門に着く。今まで2号館の會津八一記念博物館横でキャンパスツアーの予約受付をしていたが、今年は3号館裏の東門近くに移設されていた。予約を済ませて早稲田アリーナに戻る。 以前の記念会堂の式場は1階だったが、早稲田アリーナは地下3階であり、雰囲気がかなり違う。10時半に宮川俊二アナウンサー(45卒 一文)の司会により演壇に対し右から田中愛治総長、大隈侯爵曾孫の大隈和子、招待年次代表の漫画家弘兼憲史の順で入場、左からは今までの歴代総長、各学術院院長(旧 学部長)などが登壇する。総長式辞で慶応との比較やかつての雀荘に屯した学生が図書館などで勉学に勤しむようになったなどの話があったあと、招待年次代表で課長島耕作などの人気漫画家弘兼憲史(45卒 法)の学生時代の思い出が語られた。当時の世相で学生運動が激しく、入学が1ヶ月遅れの5月1日だったこと、キャンパスは立て看が林立し、4年時には大学紛争で全学共通卒業式が出来なかったなどが語られた。一方で当時二文に在籍した吉永小百合が中央図書館に通うタイミングを調べ、机の向かいに座ったなどのエピソードもあった。最後に早稲田大学校歌の都の西北を斉唱して1時間の式典を終えた。 諏訪通りの歩道はさして広くないので、警備員が状況を見つつ戸山キャンパスからの退場制限をかけている。今までそのような経験はなく、記念会堂と早稲田アリーナとの収容人数の差があるのかもしれない。次々に式典を終えた人が出てくるが、待たされて少し進んでは又待たされるの繰り返しなので落ち着くまで待つことにした。早大南門通りを歩いて早稲田キャンパスに入ると、特設テントが所狭しと並ぶ。学生が行う学園祭は早稲田祭で、こちらは校友会の稲門会が主催する。メインストリートは各都道府県の稲門会が主として地酒を中心に特産品販売のテントを設けている。 |
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