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都営三田線 白金高輪駅
白金高輪駅〜桜田通り〜清正公(覚林寺/毘沙門天)〜清正公交差点〜目黒通り 日吉坂〜瑞聖寺(布袋尊)〜妙圓寺(福禄寿尊・寿老人尊)〜目黒通り〜目黒駅〜行人坂〜大圓寺(大黒天)〜目黒雅叙園〜目黒川〜山手通り〜蟠龍寺(弁財天)〜目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神)〜不動前駅
【撮影記録】
平成28年 1月 7日 晴れ 一時 曇り
10:05〜14:45(昼食 50分、目黒雅叙園 休憩 50分) 12,300歩(概算 6.2km 地図上の距離 5.0km)
川崎シニアネット(KSN)主催のイベントで、KSNは川崎居住もしくは勤務の55歳以上の会員で、ITを介して豊かな人生を送る、という趣旨の会であるが、歩く会や、カラオケなどのイベントも行われている。このためイベントは親睦も兼ねているので歩くスピードも遅く、目黒雅叙園での大休止などが行程に含まれる。
同じことは誰もが考えるようで、制服制帽に身を固めた80人余の世田谷や小旗を連ねた40人ほどの横浜グループなど、幾つもの団体がイベントを行うので17人の小グループのKSNは圧倒されてしまった。 |
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桜田通り(国道1号) 白金一丁目交差点 |
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桜田通り(国道1号)を南下、名光坂を上る
清正公前交差点から白金一丁目交差点までの緩い上り坂を名光坂という。蛍の名所だった所から、名光と呼ばれたため、という。 |
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桜田通り(国道1号) 名光坂 高輪消防署 |
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桜田通り(国道1号) 名光坂 高輪消防署 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点
右折すると目黒通りで、白金台駅を経て目黒駅に向かう。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 山門
寛永8年(1631)、日延上人開山の日蓮宗の寺。加藤清正の位牌や像が祀られ、「白金の清正公さま」として親しまれる。毎年5月4・5日の清正公大祭には、武運の強かった清正公にあやかり「勝負に勝つ」の意味で葉菖蒲の入つた「勝守り」が頒布され賑わう。山手七福神の一つ、毘沙門天を祀る。
清正公は「せいしょうこう」と読む。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 山手七福神案内図
山手七福神の各寺は写真のような看板が共通で立てられている。当該の寺は赤で、他は水色となっている。又、共通のピンクのパンフレットも配られている。
七福神信仰は室町時代の中頃から起こり、始めは恵比寿・大黒天が信仰され、江戸時代中期には庶民にとっては信仰の一つとして多くの方に今の七福神の形が定着いたしました。
「江戸最初・山手七福神」は江戸城の裏鬼門守護のため、将軍の鷹狩りの際に参詣した「目黒の不動堂(龍泉寺)」の参詣道筋に設置された江戸時代から続く、江戸最初の七福神巡りです。
「七福神」はインド・中国・日本の福を授ける神仏を七体集め、全ての人々が望む「願い」を聞き、御利益を与えてくれる日本独特の信仰です。特に「江戸最初・山手七福神」では目黒側の寺院(恵比寿・弁財天・大黒天)から、白金側の寺院へお参りするのを「商売繁盛祈願」、また白金側の寺院(福禄寿・寿老人・布袋尊・毘沙門天)から目黒側の寺院へお参りするのを「無病息災・長寿祈願」として御利益があると言われております。
当時の庶民は元旦から七草までの間に近くの七福神を巡り歩き、一年間の家内安全・無病息災・商売繁盛などを祈願しました。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 毘沙門堂
以前にも山手七福神巡りのイベントに参加したが、各寺の本堂を参拝するだけだった。どの地区も七福神を祀るのは小さなお堂なので、大きな本堂にばかり気を取られる。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 毘沙門堂
山門を通ってすぐ左にある小堂である。
毘沙門天
インドの神様で、左手に宝塔、右手に宝剣を持っています。仏教の守護神で、災難除けなどの福徳を授けます。別名で多聞天とも呼びます。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 清正公堂
覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間ロー間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 清正公堂 及び 山門 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 当山略縁起
通称白金の清正公さまと呼ばれる当山は、最正山覚林寺と号し寛永八年(一六三一)可観院日延(韓国の王族)によって開創されたお寺であります
開創と同時に上人によってご奉安申し上げられた清正公大尊儀は古く江戸時代より開運の神さまとして霊験まことにあらたかで広く庶民大衆に崇敬されてまいりました
毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与され東都における清正公信仰のみなもととして今もなお各界の参詣祈願者でにぎわいます |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天) 清正公堂
清正公堂の横からシェラトン都ホテル東京が見える。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点 清正公(覚林寺/毘沙門天)
小旗を連ねて40人ほどの横浜の老人会が境内に入ってきたのを機に、次の寺に向かうことにした。 |