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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点手前で左折、小路を通って目黒通りへ
白い建物の右手奥に清正公交差点が見える。 |
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桜田通り(国道1号) 清正公前交差点手前で左折、小路を通って目黒通りへ |
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目黒通り シェラトン都ホテル東京
日吉坂を上る手前、清正公前交差点の先にあるホテルで、かつては都ホテルだった。 |
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目黒通り 日吉坂を上る
能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝えられるほかに、ひよせ、ひとせ、ひとみなどと書く説もある。
八芳園がある日吉坂上交差点から桜田通りとの合流点である清正公前交差点まで続く坂である。 |
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目黒通り 日吉坂を上る |
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目黒通り 日吉坂を上る
いつもは目黒から歩くので、日吉坂はダラダラと続く長い坂というイメージがあるが、逆に上って行くと意外と早く上り切り、こんなに短かったのかと驚いた。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 八芳園案内
左折して桑原坂沿いにすぐの所に結婚式場で有名な八芳園があり、更に進むと桜田通り(国道1号線)との交差点に明治学院がある。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊)
日吉坂上交差点の歩道橋の先にある。
左折して瑞聖寺に入ろうとしたら、青色の制服制帽の団体が目黒から続々と入ってきた。その異様さに度肝を抜かれ、全員が入り終わるまで待つことにした。
後で境内で話している所を聞いたら、世田谷の老人会とのことで総勢80数人とのことである。人数も多い上、制服制帽が異様である。幸いにして参拝順が逆なのでこれ以降会うことはない。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊)
寛文10年(1670)、木庵禅師により開創された黄檗宗の寺院。江戸名所図会に大伽藍が描かれるほどの隆盛を誇ったが、度々火災や災害に遭い多くの堂宇を失った。宝暦7年(1757)に建立された大雄宝殿は桁行3間、梁行4間の裳階付入母屋造りの大規模な仏殿で、国の重要文化財。山手七福神の一つ、布袋尊を祀る。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 通用門 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 鐘楼 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 国指定重要文化財(建造物) 瑞聖寺大雄宝殿 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 彫刻木造釈迦如来 及 阿難・迦葉像
瑞聖寺は、黄檗宗寺院として江戸において初めて建立されたものです。開基は青木甲斐守重兼で、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性? が開山として招請され、寛文十一年(一六七一)に落成しました。 本尊釈迦如来坐像(寄木造)は、体部背面に金泥で記した「寛文十一辛亥」の銘があり、瑞聖寺開山の時の造像であったことがわかります。また、頭部内刳面に「音羽仏師祐運次郎兵衛」の墨書銘があり、京仏師の作とわかります。 両脇侍の阿難・迦葉立像(寄木造)も、釈迦如来像の一具像として、保存もよく、伝存するのは貴重です。 中国明時代の様式を伝えた、区内における稀有の作例として貴重です。
法量 釈迦如来像 像高 七七.四センチメートル 光背 一四二.〇センチメートル 阿難像 像高 一一一.九センチメートル 迦葉像 像高 一〇七.七センチメートル |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 国指定重要文化財(建造物) 大雄宝殿
紫雲山瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗の寺院で、寛文一〇年(一六七〇)から建設に着手し、翌年諸堂が完成しました。創建伽藍は享保十一年(一七二六)と延享二年(一七四五)のニ回の火災で大きな被害を受けましたが、文化年間 (一八〇四〜一八)に再び整備されました。 大雄宝殿は黄檗宗寺院の中心的建物で、身舎の外側に裳階を廻らせ、身舎の屋根は入母屋造、本瓦葺で、寺格にふさわしい雄大な規模を持つ黄檗建檗の仏殿です。棟礼から宝暦七年(一七五七)の再建と推定され、その後、何度か修理が行われました。二重屋根の外観や細部意匠に黄檗建築の特徴を保ちながら、組物の簡略化、正面吹放部分の化粧軒裏天井、背面一間通りの吹放、内部の両脇に畳敷床を設けるなどの特徴があり、江戸市中に残された数少ない本格的仏堂建築として貴重な存在です。昭和六十年(一九八五)から六三年にかけて解体修理が行われ、仏壇回りを除いて往時の雄大な姿が再現されています。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 大雄宝殿 木鐸 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 大雄宝殿 釈迦如来坐像 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 大雄宝殿 布袋尊
布袋尊
中国の禅宗の僧侶がモデルで、大きな袋を担いでいます。肥満体で太鼓腹でにこやかな顔をして、豊かなくらしと円満な家庭の守護神です。 |
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目黒通り 日吉坂上交差点 白金台 瑞聖寺(布袋尊) 山手七福神案内図
瑞聖寺は2番目の赤丸で、右に清正公(覚林寺)がある。
世田谷の大集団(80数人)の上に横浜の老人会(40数人)も来たため、広い境内も人で溢れかえり、自分のグループがどこに居るのか分からなくなる。こうなると制服制帽も意味があるのかな、と思う。 |