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日暮里駅 旧駅舎前階段を上る
旧駅舎横に階段があり、上ると谷中霊園に出る。左側の道を進むと谷中天王寺に向かう。
トップページの散策地図ではGoogle Mapの機能制約から階段を上るコースは設定できず、左側の線路沿いの道を歩くコースとなっている。 |
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谷中霊園 日暮里駅 西口からの入口
旧駅舎横からの階段を上った所に谷中霊園の入口がある。 |
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谷中霊園 七、八分咲のさくら並木を南下
一見満開のように見えるが、よく見ると七、八分咲であり、落花もなく通路には花びらはない。
3年前に今回とほぼ同じコースを歩いたが、その時より1週間ほど早いが開花状況は同じくらいである。 |
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谷中霊園 突き当りで左折、谷中天王寺へ |
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谷中霊園 谷中天王寺
谷中の天王寺は、もと日蓮宗・長燿山感應寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長燿に由来する古刹である。元禄一二年(一六九九)幕命により天台宗に改宗した。現在の護国山天王寺ご改称したのは、天保四年(一八三三)のことである。
元々日蓮宗の不受不施派であったため弾圧を受け、廃寺になるところを輪王寺宮のとりなしにより元禄12年に天台宗となった。のちに家斉の側室お美代の方一派により日蓮宗改宗の動きがあり、天保4年に寺号を天王寺とした。 |
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谷中霊園 谷中天王寺 ハナモモ
境内に入ったら真っ白なきれいな花が咲いていた。初めて見る花だがハナモモというそうで、花を鑑賞するために改良されたが、実は小さく食用に適さないとのことである。 |
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谷中霊園 谷中天王寺 ハナモモ |
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谷中霊園 谷中天王寺 銅造釈迦如来坐像
本像については、「武江年表」元禄三年(一六九〇)の項に、「五月、谷中感応寺丈六仏建立、願主未詳」とあり、像背面の銘文にも、制作年代は元禄三年、鋳工は神田鍋町に住む大田久右衛門と刻まれている。また、同銘文中には「日遼」の名が見えるが、これは日蓮宗感応寺第十五世住持のことで、同寺が天台宗に改宗して天王寺と寺名を変える直前の、日蓮宗最後の住持である。
昭和八年に設置された基壇背面銘文によれば、本像は、はじめ旧本堂(五重塔跡北方西側の道路中央付近)右側の地に建てられたという。「江戸名所図会」(天保七年(一八三六)刊)の天王寺の項には、本堂に向かって左手に描かれており、これを裏付けている。明治七年の公営谷中墓地開設のため、同墓地西隅に位置することになったが、昭和八年六月修理を加え、天王寺境内の現在地に鉄筋コンクリート製の基壇を新築してその上に移された。さらに昭和十三年には、基壇内部に納骨堂を増設し、現在に至る。
なお、「丈六仏」とは、釈迦の身長に因んで一丈六尺の高さに作る仏像をいい、坐像の場合はその二分の一の高さ、八尺に作るのが普通である。
本像は、明治四十一年刊『新撰東京名所図会』に「唐銅丈六釈迦」と記され、東京のシンボリックな存在「天王寺大仏」として親しまれていたことが知られる。
平成五年に、台東区有形文化財として、区民文化財台帳に登載された。 |
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谷中霊園 谷中天王寺 銅造釈迦如来坐像 |
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谷中霊園 谷中天王寺 六、七分咲きのの枝垂れ桜
枝垂れ桜の前には沙羅双樹があるが、若葉がいくつか出ている程度である。 |
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谷中霊園 谷中天王寺 四、五分咲きのの枝垂れ桜 |
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谷中霊園 谷中天王寺 山門 |
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谷中霊園 谷中天王寺 山門
日蓮聖人はこの地の住人、関長耀の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長耀は草庵を結び、その像を奉安した。−伝承による天王寺草創の起源である 一般には、室町時代、応永(一三九四―一四二七)頃の創建という。
『東京府志料』は「天王寺 護国山卜号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ本日蓮宗ニテ長耀山感応寺卜号シ 応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで“富くじ”興行が開催された。日黒の滝泉寺・湯島天神の富とともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。
元禄十二年(一六九九)幕府の命令で、感応寺は天台宗に改宗した。ついで天保四年(一八三三)、天王寺と改めた。境内の五重塔は、幸田露伴の小説、『五重塔』で知られていた。しかし昭和三十二年七月六日、惜しくも焼火してしまった。 |
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谷中霊園 谷中天王寺 山門 |
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谷中霊園 七、八分咲のさくら並木のさくら通りを南下
天王寺を出ると、道は広くなり、さくら並木で有名なさくら通りと称される。 |
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谷中霊園 さくら通り 天王寺五重塔跡 |
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谷中霊園 さくら通り 天王寺五重塔跡 |
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谷中霊園 さくら通り 天王寺五重塔跡
最初の五重塔は、寛永二一年(正保元年・一六四四)に建立されたが、百三十年ほど後の明和九年(安永元年・一七七二)目黒行人坂の大火で消失した。 罹災から十九年後の寛政三年(一七九一)に近江国(滋賀県)高島郡の棟梁八田清兵衛ら四八人によって再建された五重塔は、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても知られている。総欅悸造りで高さ十一丈二尺八寸(三四・一八メートル)は、関東で一番高い塔であった。明治四一年(一九〇八)六月東京市に寄贈され、震災・戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和三二年七月九日放火により消失した。 |
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谷中霊園 さくら通り 天王寺駐在所
谷中霊園の南北を通る「さくら通り」と、東西を結ぶ「ぎんなん通り」との交差点に交番があり、隣接して天王寺五重塔の遺構がある。 |
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谷中霊園 さくら通り 天王寺駐在所 |
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谷中霊園 七、八分咲きのさくら並木のさくら通りを南下 |
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谷中霊園 さくら通り 川上音二郎碑
川上音二郎碑(1864−1911)
新派俳優。福岡県出身。民権思想を盛り込んで時局を風刺した。「オッペケペー節」が大流行した。墓は九州博多の承天寺にある。 |
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谷中霊園 さくら通り 徳川慶喜墓 案内
さくら通りから結構距離があり、途中に案内があるものの徳川慶喜の墓はわかりにくい。 |
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谷中霊園入口交差点で左折、直進
左に直進すると上野桜木交差点で言問通りを渡り、上野公園に向かう。右には急角度で曲がり団子坂通りに進む。 |
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都道神田白山線 上野桜木交差点で言問通りを渡る
信じられないことだが、都道神田白山線は、民家の間の狭い道を通り抜ける。軽自動車がせいぜいの幅員で、谷中からの一方通行であるが、歩行者にギリギリで結構車が通り抜ける。 |
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言問通り 上野桜木交差点 休館の台東区立下町風俗資料館
休館のお知らせ
新型コロナウイルス感染防止のため、2月28日(金)〜4月13日(月)まで休館いたします。
期間を延長する場合は、あらためてお知らせいたします。大変申し訳ありませんが、ご理解の程お願いいたします。
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言問通り 上野桜木交差点 休館の台東区立下町風俗資料館 |