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三笠公園 三笠桟橋荷停泊する観光船
三笠公園に隣接して三笠桟橋があり、1時間毎に猿島に向け出航する。乗船時間は10分で、5分後に猿島桟橋から戻ってくる。
観光船はSea Friend1号と8号で、運行は1号、写真は停泊している8号である。 |
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三笠公園 観光船からの風景
正面に見える猿島まで10分の乗船時間である。
風が強いので船首の席に座っていると帽子を押さえていなければならず、船の揺れも結構あり、波しぶきも時々浴びるなど乗船艦橋は良くない。 |
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三笠公園 観光船からの風景
三笠桟橋を出て振り返ると三笠の雄姿が見える。 |
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三笠公園 観光船からの風景 |
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三笠公園 観光船からの風景 |
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三笠公園 観光船からの風景 |
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三笠公園 観光船からの風景
近づくに連れ、猿島が結構岩が多い島ということが分かる。 |
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猿島 猿島桟橋 |
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猿島 猿島桟橋
桟橋から1階は砂浜でのBBQのレンタル店と、テイクアウトの料理店があり、2階のボードデッキでは弁当を食べたり休憩する事ができる。 |
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猿島 猿島ボードデッキ 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は12:10で、温度27.6℃、湿度は低すぎて測定不可能、熱中症計はほぼ安全である。
三笠公園は1時間半前の10:40で、温度22.9℃、湿度33%、熱中症計はほぼ安全だった。風は相変わらず強いが、薄っすらと汗をかくほど暖かい。 |
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猿島 猿島ボードデッキから見た風景
横須賀市内は案外高層ののマンションが立ち並ぶ大きな都市である。海上自衛隊や第7艦隊などの米海軍関係者が多く住んでいる街でもある。 |
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猿島 猿島ボードデッキから見た風景 |
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猿島 猿島ボードデッキ 海軍港の碑
ボードデッキの東恥の通路沿いに建っている碑で理Mrんに相当する。文面は明治十年九月二日で、意味が分からない。ガイドによる島内観光の時刻が迫っており、正面に向かうだけの余裕がないので諦めた。 |
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猿島 猿島ボードデッキ 国指定史跡 東京湾要塞跡、猿島砲台跡 |
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猿島 猿島ボードデッキ 国指定史跡 東京湾要塞跡、猿島砲台跡
東京湾要塞は。明治時代、首都東京と横須賀軍港などを防衛するため、東京湾岸一帯に築かれた陸軍要塞の遺跡です。
明治政府は。フランス顧問団の支援を受けつつ海岸防備の方策を検討し、江戸幕府や諸藩等が海防のため設置した台場に代え、西洋の築城技術を各地に導入し、軍港を設けていきました。中でも東京湾口を最も重視し、猿島砲台を明治14年(1981年)に起工しました。
猿島砲台は観音崎砲台に次いで造られた最初期に属する砲台です。当初は第一、第二、第三砲台を置きましたが、まもなく第一砲台を観測所(指令所)に改変し、2砲台とし、27センチ加農砲2門。24センチ加農砲4門を備砲しました。
砲台の主要な建築資材には石材と煉瓦が用いられています。砲側弾薬庫などの煉瓦組積法はフランドル積(フランス積)で、旧士族の授産を目的とした東洋組で、製造された煉瓦が採用されました。
その後は関東大震災に被災し、大正14年には東京湾要塞を除籍、海軍に移管されました。その後昭和前期には沿岸砲台としての猿島砲台を改造して防空砲台が建設されました。
猿島砲台は築城当初の姿を良好にとどめていることから、我が国の近代軍事、近代築城技術の具体的様相を理解することができる貴重な史跡であるため、平成27年(2015年)に国指定史跡となりました。 |
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猿島 猿島ボードデッキ 国指定史跡 東京湾要塞跡、猿島砲台跡
日本遺産
鎮守府のまち 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
明治期の日本は、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築きました。
静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生しました。それは現在まで、軍港を中心とする特有の景観として息づいてます。
この独自の歴史に対し、平成28年(2016年)4月25日付で、日本遺産に認定されました。
日本遺産とは歴史と文化のストーリーが認定されます。そして、それを物語る構成文化があります。
横須賀市では、横須賀製鉄所から始まるストーリーに16の構成文化財があり、猿島砲台跡はその中の一つです。 |